井原さんが抱いた疑問、「この男はいったい何だ?」

 ここまでの少年時代の心情や人間関係は、井原さんが『右近純情』で描いた物語だ。

 一方、先述したように、鈴木右近忠重そのものは実在した。

 右近の父は、鈴木主水(すずき・もんど)。主水が城代を務めていた名胡桃城(なぐるみじょう)をめぐる事件が起きた時、右近は6歳だった。天正17(1589)年のことである。

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名胡桃城址(写真提供:群馬県みなかみ町教育委員会)

 それから約70年後、右近はまったく違う姿で記録に現れる。

 万治元(1658)年、真田信之が亡くなる。その2日後、75歳の右近も殉死し、信之の後を追った。

 真田氏研究者の平山優氏は著書『真田信之 父の知略に勝った決断力』で、信之は家臣たちの殉死を認めないとしていた一方、右近には例外的に認めていたと記している。

 名胡桃城事件の時には6歳だった少年と、約70年後、信之に殉じた75歳の家臣。井原さんが右近の人生の「最初」と「最後」を知ったときに抱いたのは、

「この男はいったい何だ?」

 という疑問だった。

実在した鈴木右近を、井原忠政はどう描いたのか

『真田武士心得〈一〉右近純情』

 史料に残る晩年の右近は、信之に殉じた「ただ一人」の家臣だった。

 一方、『右近純情』が描くのは、「俺は真田家が嫌いだ」と言う6歳の少年から始まる物語である。

 この大きな落差こそ、鈴木右近という人物を主人公にした面白さだ。

 実在した無名武士から、井原さんはどんな右近を描いたのか。

 その物語を、まずは『真田武士心得〈一〉右近純情』で読んでみてほしい。

 ※右近の殉死については、小林計一郎氏「鈴木右近忠重小伝」、平山優氏『真田信之 父の知略に勝った決断力』を参照しました。

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