小説で公案に挑んだこと自体が、私にとっての1つの公案

──作中では、禅僧が悟りを得るために取り組む「公案」に対する、快鳳なりの答えが描かれています。悟りや公案を小説の中に取り上げ、それに挑んだ感想を聞かせてください。

澤田 「悟り」って、ほんとうにわからなくて。取材中にお坊様に「悟りとは何ですか」と聞いたら、「考えることじゃないんですよ」と言われて。「いやいや、余計にわからないよ」となってしまいました(笑)。

 公案には、問いがあって回答がある。でも読んでいくうちに、結局大切なのは結論ではなく「考える過程」なんだろうな、という解釈に至りました。

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 公案の答えはほんとうに無限にあるらしいので、読者の方には別の答えが見えてくるかもしれません。そういうふうに、小説で公案に挑んだこと自体が、私にとっての1つの公案であり悟りになっているといいなと思っています。

──作品後半では、江戸前期という時代ならではの大きな理不尽が描かれます。あえてそれを描いた理由はなんだったのでしょうか。

澤田 世の中を生きていると、理不尽は大なり小なり誰の前にも現れます。この時代のように「命を取られる」というレベルのことは、今の私たちにはないかもしれません。しかしそれでも理不尽はほんとうにいろんなところにぽっかりと口を開けていて、気がつくとずぶっと落ち込む。そういうものだと思っています。

 そういった怖さ、そして今の私たちが平穏に生きられているのはある意味ラッキーなんだということも伝えたくて、あえて大きな理不尽を書きました。

 

黒船来航と同じくらいのインパクト

──多くの来日僧がいる中で、特に隠元禅師が庶民の間にまで一大ムーブメントを巻き起こした理由は何だとお考えですか。

澤田 日本という国が、それ以前はとても開かれていたのが、どんどん閉じていって、もうほとんど閉じ切ったそのタイミングで隠元がやってきたわけです。

 海外の文化が消えていく中で、彼はほんとうに最新の知識や技術を持ち込みました。仏像を彫る職人や絵師など、技術を伝えるために必要な人たちも連れてきた。それはもう「お坊さんが来た」というレベルではなく、「1つの文明が丸ごと来た」くらいのムーブメントだったと思うんです。

 その衝撃は、現代の私たちには少し想像しにくいかもしれません。江戸時代後期のペリー来日、いわゆる「黒船来航」と同じくらいのインパクトがあったんだろうな、と感じました。

──作品を書き終えた今、隠元という人物をどのように評価されますか?

澤田 彼はお弟子さんの数がとても多くて、しかもそのお弟子さんたちは多種多様なんです。さまざまな宗派のお坊さんから、将軍、貴族、商人まで、本当にさまざまな人が集まっている。

 そういった人たちを分け隔てなく受け入れた、懐の広さがあったんだと思います。だから「仏教が来た」ではなく「1つの文化が来た」と感じた人が多かった。絵画の面からアクセスする人もいれば、書の面から、もちろん仏教的な面からも、それぞれの入り口で隠元に近づいていける。

 その懐の広さこそが、今日まで彼の名前が語り継がれている理由ではないかと考えています。

◆◆◆

 鎖国という閉じた時代に、異国からやってきた高僧。彼の姿は、何も持たない孤児・快鳳の目を通すことで、読者にとっても生きた人間として浮かび上がってきます。

 歴史小説としての読み応えとともに、人間の普遍的な問いを携えた一作。あなたも快鳳の目を借りて、江戸の長崎へと足を踏み入れてみませんか?

隠元

澤田 瞳子

文藝春秋

2026年9月18日 発売

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