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「“何者にもならない”人を書きたい」新直木賞作家・澤田瞳子が〈時給940円のアルバイト〉を15年続ける理由

『星落ちて、なお』直木賞受賞インタビュー

2021/07/17

――このたびは『星落ちて、なお』の直木賞受賞、おめでとうございます。昨日は発表までどのように過ごされたのですか。 

澤田 担当の方たちと数名でご連絡を待っていたのですが、久留米で東山彰良さんが葉室麟さんのお友達の方たちと一緒に待ち会をしてくださっていて、そちらとビデオ通話をしたりしていました。

 そんな最中に高校時代の後輩から、「直木賞にノミネートされているなんて知らなかった!」ってメッセージがきたりして。スマホが光るたびに担当編集者さんがちらっちらっと気にしてらっしゃる状態が長く続き、その挙句の果ての受賞の連絡でした(笑)。 

澤田瞳子さん

――楽しそう(笑)。受賞作『星落ちて、なお』は明治期の話で、主人公は日本画家、浮世絵師の河鍋暁斎の娘、とよ(河鍋暁翠)ですね。 

澤田 天才の子どもに興味があったのです。その一方で、河鍋暁斎にもずっと関心はあったんですが、ああいう非凡な絵師を主人公にすると以前書いた『若冲』と同じことになる。暁斎の子どもたちも絵師になっているということで、天才の近くで生きざるをえなかった彼らを書いてみたいと思いました。

 兄の周三郎も絵師になりましたが、とよさんは子孫の方が今も生きているということと、彼女の子どもたちは絵師にならなかったというところに特に惹かれました。 

――澤田さんはこれまで奈良や平安といった古代を書くことが多かったですよね。それに比べると明治期に関しては史料が多いと思いますが。 

澤田 たくさん史料がある中から何を作るか考えるのは楽しかったです。たとえば栗原玉葉は史実を見る限り、とよが女子美術学校で教えていたのとほぼ入れ替わりで入学しているので、ひきつぎなどの際にすれ違っている可能性もあるなと考えました。同じ時代なのに二人の絵はなぜこんなに違いがあったのかということも興味深くて。

 彫刻家の北村四海とも弟の縁で接点があってもおかしくないから、彼が博覧会で自分の作品を破壊した「霞事件」も絡んでくるだろう、などと想像していきました。 

「何者にもならない人」のほうを書きたい

――周囲の人物が個性的ななか、とよさんは地味といえば地味ですよね。自分のことを父には及ばないとも自覚している。そういう人を主人公にしているところがいいなと思いました。 

澤田 実際にとよさんを知っている方にお話を聞くと、怒った顔を見たことがないそうです。とても我慢強い方だったようですね。だからこそ、彼女の苦しみだったり、周囲が幅をきかせるなかで小さくならざるを得なかったところを掬いあげたいなと思いました。 

 

 人が何者かになる物語を書くのは簡単ですが、何かになれる人は本当はそう沢山はいませんよね。多くの人は何かになろうとすら意識せずに一生を終えていく。英雄ではなく、そういう歴史の中で目立たない人の方を書いてみたいんです。人生って毎日の中で小さな幸福な気づきがあって、それで自分自身を肯定することができたら、とても幸せなのじゃないかという思いがあります。 

――明治は、絵画の流行も大きく変わっていく時期。求められるものが変わり、絵師たちも振り回されていく。そこも読みどころですね。 

澤田 その点で、画壇の変化に振り回された栗原玉葉などはある意味悲劇的な人ですね。数年単位で変わっていくものに流されていく人は本当に多い。時代の変化に乗っかって成功していく人を書くほうが簡単かもしれませんが、でも乗っからないからこそ見えるもの、その奥にあるものに惹かれます。それをどういうふうに書けるかなと思っていましたが、今回とよさんを通じて一つの答えを出せたのは嬉しかったです。