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「“何者にもならない”人を書きたい」新直木賞作家・澤田瞳子が〈時給940円のアルバイト〉を15年続ける理由

『星落ちて、なお』直木賞受賞インタビュー

2021/07/17
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――アルバイトしていると、史料が見られるなどのメリットがあるとか? 

澤田 そこまで大げさなものじゃなくて、もともとアルバイト職員になったのは大学図書館を使えると言われたからなんです。今は状況が変わってしまったのですが、それを差し引いてもいろんな大学・博物館にご所属の研究者の方々に、わからないことを直接お尋ねできるというメリットもあるんです。論文にも書かれていないような、しょうもないことでも。例えば平安時代の仏師について、「先生、あの人って髪型は坊主頭だったと思う?」などと訊ける。 

 それともうひとつ、先ほど少し言いましたように、他の人生を諦めたくないのです。小説家であることに溺れ自分を甘やかし、他のことが見えなくなるのが怖いです。小説家って、大事にしてもらえるじゃないですか。そこに溺れる自分が嫌で、時給940円でコピーをとって、そ知らぬ顔で書類抱えて学内を走ってます。

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関心は「能」、「火山」、「パンデミック」……

――昨日に記者会見で、「葉室さんにどんな時も書けと言われたけれど、私はつい遊んでしまう」とおっしゃっていましたよね。遊ぶって、何をされるんだろうと思って。 

澤田 だいたい猫と戯れています。あとは読書と。

――コロナ禍なので難しいですが、出掛けるのは好きですか。お能もお好きだと思うので観劇とか……。 

澤田 大学で、サークルの能楽部に入っていたんです。他の方は大学を出て就職なさったり結婚なさって子どもができたりしてやめられていくんですけれど、私は就職もしていないし子どももいないしで、ずるずると長く続けています。その関係で、まあ不肖の弟子で、あまりお稽古日には姿を見せず、師匠とはご飯を食べにいくだけの関係みたいな部分もありますが。 

 

――古典芸能のなかでも、能に惹かれたのはどうしてですか。 

澤田 高校生の時に観たら全然面白くなくて、でも面白いと言っている人がいる。ひょっとしたら、習ったら面白みがわかるのかなと思い、それで能楽部に入りました。面白いところもあるとはわかりましたが、眠たい演目はいまだに爆睡します。 

――知らないことを知りたいアンテナが多方面に向かっているのですね。 

澤田 そうかもしれません。いま光文社さんの『小説宝石』で、平安時代に富士山が噴火する「赫夜」という話を書いているんです。火山とか地学とかもともと大好きなので、知らないことを調べるのがめっちゃ楽しくて。漢文の史料には慣れているけれど、地学の資料はグラフとかドイツ語がいっぱい出てくるんですよ。それで「地学入門」を読んだりして。 

――興味の方向がいろいろですよね。『火定』は、天平のパンデミックの話でした。まさかコロナ禍が起きるなんてまったく思っていない頃の作品ですよね。 

澤田 教科書を読みますと、「奈良時代に天然痘が流行りました。おしまい」じゃないですか。「でもこれ現実的にはめちゃ大変だったよね」と思って、その時に何が起きていたのかを知りたくなりました。でも史料といっても、何月何日に大納言が死んだ、というようなそっけない記録しか残っていなくて。今回の『星落ちて、なお』は史実と史実を結び合わせる作業でしたが、『火定』は入口と出口しかない建物をどうやって建てようかなという作業でした。