1994年にシェイプUPガールズのメンバーとしてデビューし、50代となった現在もグラビアなどで活躍を続ける中島史恵さん(58)。その華やかな経歴の裏には、21歳の頃に経験した、すべてを捨てての「駆け落ち」という波乱の過去があった。バブル全盛期の長野を舞台に、地元のディスコ「マハラジャ」で出会った男性との恋に落ちた彼女は、なぜ親元を離れ、沖縄へと向かったのか。その知られざる真相を本人の言葉から追う。
短大卒業後、実家がりんご園を営んでいたこともあり、農協の金融機関「信連」に就職した中島さん。昼は会社員として働き、夜はボディコンシャスな服に身を包んでマハラジャに通うという、バブル期を象徴するような日々を送っていた。高校時代にジェーン・フォンダや映画『フラッシュダンス』に衝撃を受けて以来、エアロビクスの世界に夢中になり、バスケットボールの実業団からの誘いを断るほどダンスに情熱を注いでいた彼女にとって、踊ることは生活の一部だったのだ。
「『人の彼氏を取らないでよ!』と電話がかかってきて…」
そんなきらびやかな日々の中、マハラジャのVIP席にいた男性から声をかけられ、交際が始まった。しかし、幸せな時間は長くは続かない。ある日、見知らぬ女性から「人の彼氏を取らないでよ!」という一本の電話がかかってきたのである。彼に問いただすと「間違い電話だから番号を変えた方がいい」と言われ、当時の彼女はそれを信じてしまったという。
だが、その電話の主こそ、中島さんと出会う前から付き合っていた「本命の彼女」であった。彼は二人の間で揺れ動いた末、一度はその彼女を選ぶ決断を下す。ところが、それから1週間ほど経った頃、彼の友人から「実は本当は史恵のことが好きみたいなんだ」と告げられた。この一言が、彼女の運命を大きく動かすことになる。
「じゃあ2人で駆け落ちしよう!」というマンガのような展開で、二人は誰も知り合いがいない沖縄へと飛んだ。彼はウェイター、彼女はキャッシャーとして現地のマハラジャで働き、その日暮らしの生活を送った。中島さんは当時を「おままごとみたいな生活でしたけど、楽しかったですね。若気の至りです」と振り返るが、その裏で母親には「もう私のことは死んだと思って」と電話をかけ、政治家であった父や兄に多大な迷惑をかけていた。
沖縄での生活は半年ほどで終わりを告げ、二人は東京へ。上京後、スポーツジムの帰り道に大手芸能事務所「オスカープロモーション」からスカウトされたことが、人生の大きな転機となった。
「あ、私が本当にやりたいことはこれだ」
そう確信した彼女は、恋愛に終止符を打ち、幼い頃から憧れていた芸能界への扉を開くことを決意したのである。
波乱の駆け落ちを経て、ついに夢への一歩を踏み出した中島さん。しかし、その先にはキャンペーンガール降板の危機という、また新たな試練が待ち受けていた。彼女を窮地に追い込んだ「寝ゲロした話」の真相とは、一体何だったのだろうか。詳細についてはインタビュー本編で語られている。
写真=佐藤亘/文藝春秋
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。
次のページ 写真ページはこちら
