1994年にシェイプUPガールズとしてデビューし、50代に入ってからもグラビアやイメージDVDで活躍している中島史恵さん(58)。

 現在は千葉に拠点を置いて活動する彼女に、シェイプUPガールズのデビュー秘話、事務所からの「3年間恋愛禁止」ルール、そして40歳でグラビアを引退した理由を聞いた。

中島史恵さん(58)

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寝ゲロエピソードを告白して降板危機

——キリン生ビールのキャンペーンガールに抜擢された際、雑誌で寝ゲロのエピソードを告白して降板危機に陥ったと……。

中島史恵(以下、中島) そうなんです。代理店の皆さんもゴールデンウィークの休みを返上して毎日対策を立ててくださって、本当にご迷惑をおかけしました。

 最終的には、当時のキリンの担当部長さんが「若い芽を摘むのはかわいそうだ」とおっしゃってくださり、降板せずに継続できることになったんです。あの時、助けていただけてなければシェイプUPガールズでのデビューも、今の私もありませんでした。今でも関係者の皆さんには心から感謝しています。

 

シェイプUPガールズの活動は学校生活の延長みたいな感覚で楽しかった

——キャンペーンガールを経てシェイプUPガールズのメンバーとしてデビューされたわけですが、グループ活動にはすぐ馴染めましたか?

中島 4人グループだったので、学校生活の延長みたいな感覚で楽しく仕事していましたね。社長から日本地図をドンと出されて「先輩のC.C.ガールズは全国47都道府県のイベントを制覇したんだから、君たちも頑張りなさい!」とハッパをかけられて、イベントの仕事をたくさんいただきました。基本的には事務所の前に集合して、ハイエースで現場に向かい、終わったらまた事務所の前で解散という毎日でした。

 当時は持ち歌がなかったので、ZIGGYさんの『GLORIA』やTRFさんの『BOY MEETS GIRL』を4人で歌って踊って。お祭りはもちろん、競馬場、競輪場、競艇場、企業の式典まで、いろんなところに営業回りに行きましたね。

 岐阜の長良川で夕方6時からのイベントに出たときなんて、お客さんがポツポツ数えるほどしかいなかったこともありました(笑)。マネージャーも厳しくて「お前たちは売れてないんだから、スケジュール帳が黒く塗りつぶされるまで頑張れ!」と言われて。でも本当に、あの時代に鍛えられたなと思いますね。