1994年にシェイプUPガールズとしてデビューし、タレントとして一時代を築いた中島史恵さん(58)。50代となった現在もグラビアやイメージDVDで活躍を続ける彼女だが、そのキャリアは決して平坦なものではなかった。事務所が課した「3年間恋愛禁止」のルール、自ら定めたグラビアでの「線引き」、そして結婚直前に報じられた「略奪愛」の真相。彼女のプロフェッショナルとしての覚悟と、一人の女性としての人生が交差する。

中島史恵さん

「見えないからこそ見ている方に想像してもらえる」

 シェイプUPガールズのメンバーとしてデビュー後、グループは多忙な日々を送った。事務所の社長から「先輩のC.C.ガールズは全国47都道府県のイベントを制覇した」とハッパをかけられ、ハイエースで全国のイベントを巡る毎日。競馬場や競艇場、企業の式典まで、あらゆる場所で営業活動を行った。当時の持ち歌はなく、ZIGGYの『GLORIA』などを4人で歌い踊ったという。観客が数えるほどしかいない厳しい現場も経験し、「あの時代に鍛えられた」と中島さんは振り返る。

 当時、所属事務所のオスカーには売り出し中のタレントに対し「3年間恋愛禁止」というルールが存在した。しかし、彼女は「正直なところ忙しすぎて恋愛どころじゃなかった」と語っており、そのルールを自然に守っていたようだ。

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 グループ活動と並行して、グラビアの仕事も精力的にこなした。もともとエアロビクスの仕事でレオタードを着ていたため、水着での撮影に抵抗はなかったという。特に30代前半はグラビアに最も力を入れていた時期で、32~33歳の頃の作品は「自分でも『攻めてるな』と思うくらいイケイケでした」と本人が語るほど。その姿勢は、撮影をマネージャーがストップさせるレベルだった。

 過激な表現が求められる中でも、彼女の中には明確なルールがあった。「バストトップとアンダーは見せない。そこさえ守ればOK」。見せないからこそ見る側に想像してもらえるという持論を貫き、周囲から「脱ぐ脱ぐ詐欺」と言われることもあったが、その一線は越えなかった。この哲学があったからこそ、50代の今もグラビアの仕事を続けられていると感謝を口にする。

 順風満帆に見えた彼女の人生に転機が訪れるのは30代後半。39歳の時、ファンのへの感謝と「結婚したい」という願望から、一度グラビアからの引退を決意する。そして2010年、42歳で結婚。しかし、その結婚の裏には、世間を騒がせた「略奪愛」報道があった。

 出会った当時、お互いにパートナーがいたという二人。彼の離婚が成立し、結婚の意思を固めた矢先の2010年7月、週刊誌が「中島史恵、略奪愛!」と報じた。それは、彼女が両親に彼を紹介する前の出来事だった。「これは大変だ!」と、二人は大急ぎで実家へ向かったという。

 一度はグラビアの世界から身を引いた彼女だが、49歳で復帰を果たす。その背中を押したのは、他ならぬ夫の「結婚しても仕事はやめないで!」という言葉だった。波乱を乗り越えた彼女が、再びカメラの前に立つことを決意した背景には、何があったのか。インタビューでは、報道の真相や53歳で受けた子宮全摘手術についても語られている。

写真=佐藤亘/文藝春秋

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