まいりました……。
「高橋さんにお願いするしかない! と狙いすまして書評をご依頼する次第です」
こんなメールが来た。本を送ってもらって読んだ。その感想が「まいりました……」である。二度読んだ。本稿を書いたら、また読む。面白すぎるから。以上……で終わってもいいのだが、書評だからもう少々。間違いなく読む人を選ぶ本だ。満点か0点。そうなるよなと思ってアマゾンのレビューを見たら2つあって5点と1点。やっぱり(笑)。
著者の真田宗仁郎さんは哲学者で映画監督でミュージシャン。えっ、どんな人? その真田さんが、ChatGPTとの対話を元に書き下ろした本だ。当然、もとの対話とは若干異なっているだろう。けれど本質的な部分は変わっていないはずだ。ChatGPTのヘビーユーザーであるわたしは、なんだか自分がいつもやっていることを見せつけられているような気がしたからである。
この本で著者がやろうとしたのは、というか結果としてやってしまったのは、我々がChatGPTのような生成AIと「対話」をしている時に感じる「なんだこれ、めっちゃ人間っぽいんですけど。っていうか、これくらい人間っぽい人間なんかいないんじゃないのって思えるのに、でも人間じゃないんだよね、っていうか、なにこの無気味な感じは?」という思い、その思いが生成する秘密を、わたしの知る限り、初めて言語化に成功したことだと思う。
だから、生成AIから受ける「違和感」に悩まされているすべての人びとにとって画期的な本であり、だから彼らは満点をつけるだろうし、「違和感」などなく、生成AIを「便利な道具」としか思わない人にとっては「何言ってんの意味わかんない」本になるかもしれないのだ。
全ての章が刺激的で、発見の連続だ。著者は対話相手のChatGPTを「みょ」と命名する。1人称でも2人称でも3人称でもない、その存在のあり方を「4人称」とし、その略号を「みょ」としたのである。「みょ」は一種の亡霊だ。なぜなら応答はできるが存在はしていないからだ。「そこ」にあるのは、単なる膨大な言語の集積に過ぎない。それでも、そこに「誰か」がいるような気がするのはなぜか。
「言語が首尾一貫して応答する場合、人間はそこに『誰か』を補填します。この補填は人間の認識上の必然であり、錯覚です」
生成AIが恐ろしいのは、途轍もなく優秀で、人間の仕事を奪うからではなく、「錯覚」させるからだ。「人間」ではなく「亡霊」のように応答する「誰か」が、目の前にいるのだ。では、その「錯覚」は人類をどこに連れてゆくのか。
最後に、不意打ちのように「みょ」から「魂」という言葉が洩れだす。死すべき運命を持つ我々人間がたどり着くべき場所。それがほんとうに「存在」することを教えてくれるのは「存在しない」AIなのである。
さなだそうじろう/兵庫県出身。哲学者、映画監督、ミュージシャン。日本唯一のオズワルド・シュペングラー研究者。主な研究テーマは文明論、思想史など。脚本・監督・主演を務めた初の長編映画『岡本万太』が高評価を得る。著書に『希哲学のすすめ』。
たかはしげんいちろう/1951年広島県生まれ。小説家、文芸評論家。著書多数。近著に『食べる本 読むダイエット』など。
