1ページ目から読む
2/3ページ目

本物の倉吉市で素顔のつきあいを

 倉吉の中心街には伝統的建造物群保存地区がある。江戸後期から栄えた商家の街並みだ。中でも赤い石州瓦でふいた白壁土蔵の連なる一角には、年間五十万人以上の観光客が訪れる。

「そのような街にミニスカートの女の子のパネルを置いていいのか、と反対論が噴出したのです」。おもちゃ店を営む平(たいら)守さん(六十三歳)は振り返る。

 しかし、倉吉の街はそのようなことを言っていられる状態ではなかった。人口は五万人を切った。保存地区に隣接する銀座商店街では、県内有数の集客力を誇っていたにもかかわらず、核テナントの地場百貨店や大手スーパーの閉店が相次ぎ、地銀の支店や病院まで転出した。シャッター通りどころか、空き地ばかりが目立つ。「かつては全長八百メートルの通りに、百三十店ほどがびっちり並んでいたのです。それが今や四十店を切ってしまい、もはや商店街の体をなしていません」と薬局を経営する倉吉銀座商店街振興組合の小林健治理事長(七十四歳)は嘆く。

ADVERTISEMENT

 平さんは「このままでは、もっと廃れる。新しい物を取り入れるにしても、異質であれば異質であるほど、古い街並みとの相乗効果は大きくなる」と説いた。侃々諤々(かんかんがくがく)の議論の末、パネルは外に出さず、店の中に置くという折衷案でまとまった。

「ところが瓢箪(ひょうたん)から駒で、パネルを探して歩くというゲーム性が生まれたのです」と平さんは目を輝かせる。自分の店にも一体置くと、二十代の男性を中心にファンが大勢訪れた。「撮影させてくださいと入ってくるので会話が生まれます。礼儀正しくて、素直な子ばかりです。顔見知りが随分増えました」。こうして架空の世界から来た若者と、倉吉市民との交流が始まった。

 市は姉妹締結を記念し、四月中旬の二日間で「くらよし桜まつり♪」を催した。これには全国から延べ六千人ほどが集まり、倉吉市始まって以来の騒ぎになった。

 まつりには「売り」があった。

 鳥取県で広く食べられている食品に、豆腐を原料にした「とうふちくわ」と、飛び魚をすり身にした「あごちくわ」がある。「倉野川市」の特産もちくわだ。そこで十六店が独自のちくわ料理を出した。

「せっかく遠くから来てくれるのだから、私達も工夫をしないと」と中華料理店を営む平久(ひらく)美樹さん(五十二歳)は三種類のちくわ春巻きを考えた。チーズ、卵、リンゴをちくわに乗せて、皮で包む。その後、ココナツカレーと、明太子ポテトも加えて、五種類にした。

 素材にこだわった菓子などを製造販売し、料理も出している井上裕貴さん(六十五歳)の店では、みたらし団子ならぬ、みたらしちくわを作った。ちくわだからと手を抜かず、たれの原料まで厳選しているので、美味しさに驚く人もいる。

 街はちくわ料理の食べ歩きで賑わった。平久さんや井上さんは日頃のメニューに加えた。

【次ページ】