ファンが必ず寄る店もある。山根正勝さん(六十七歳)の喫茶店だ。同店は物語に登場する喫茶店のモデルとされており、その店には女の子のうちの一人が考えた「ちくわパフェ」というメニューがある。
一五年夏、聖地巡礼で店を訪れた男性が山根さんに「ちくわパフェはありますか」と尋ねた。山根さんは驚いたが、男性から「倉野川市」について聞いたり、自分で調べたりして、実際に「ちくわパフェ」を作ってみた。豆やエビを練り込んだ「とうふちくわ」を半分に切り、にょきっと差したパフェである。登場人物のイメージや因幡の白兎の神話からウサギに見えるよう工夫した。するとネット上で瞬く間に広まり、ファンが来ない日はなくなった。中国、韓国、台湾、マカオ、米国、ベラルーシから訪れた人もいる。
こうして来訪する若者の中で、倉吉が好きになる人が増えていった。「落ち着く街」「人が温かい」。ファンは口々に言う。リピーターも少なくない。山根さんの店には大阪から二十回も来た人がいる。
井上さんは「観光の中心となっている白壁土蔵にも人が住んでいる街だけに、私達の素顔を感じ取ってくれたのかもしれません」と話す。
そんな倉吉市が被災した。
「おじさん、大丈夫だった?」。おもちゃ屋の平さんは顔見知りのファンに声をかけられた。心配でわざわざ遠方から来てくれたのだ。そうした若者は一人ではなかった。
「くらよし紅葉まつり♪が延期になっても倉吉へ行こう。それが支援になる」という書き込みもネットになされた。同県では発災から一カ月弱で約二万九千件の宿泊がキャンセルされ、痛手を受けていた。
まだ避難所も開設されており、瓦礫の片づけも終わっていなかった時期だが、市はファンの声に押されるようにして、十一月十二日から二日間で「まつり♪」の代替イベントを行うと決めた。「倉吉まち応援プロジェクト」と名付け、被災地でも可能なメニューを選んだ。特産の倉吉絣を着せて四十体に増やした登場人物のパネルを展示するなどした。
垣原さんは心配だった。「地震があったのに、本当に来てくれるだろうか」。だが二日間で延べ千人が訪れた。地震で落下した梨を買って帰る人もいた。イベントだけでなく、ボランティアセンターで登録し、瓦礫の片づけをした人もいた。
から揚げ店を経営する田栗進さん(四十歳)は自主イベントを催した。「倉吉応援」のメッセージを持った写真をネットで発信しようと呼び掛けると、約百人が集まってくれた。ファンの交流会も開いた。
「架空都市の物語はいずれ終わるでしょう。でも、架空の物語より、もっと面白い現実の物語を、倉吉でファンと一緒に作っていきたいのです。それにはまず仲間づくりからです。『倉吉に帰りたい』と言ってくれるような人間と人間のつながりができたらいいなと考えています」
イベント終了後もファンは訪れ続けている。川崎市の慶応大学生、金(こん)悠樹さん(十九歳)はイベントの三日後、生まれて初めて倉吉の土を踏んだ。「観光客が減った今だからこそ行かなければと思いました。倉吉は人が優しくて、大好きになりました。また来ます」と微笑む。
高齢化の進んだ倉吉では、損壊した家の復旧に不安を抱えている人が多い。街はどうなるだろう。
だが、我がことのように心配してくれる若者の応援団がいる。架空は現実とクロスし始めている。