新教育は、民主主義教育の象徴とされた。当時の単元学習では、学校で教える「読むこと」は、生活上の課題を解決する手段とされた。
「学級新聞を作ろう」という単元では、記事を書くために必要な情報を集める手段として、新聞や資料を「読む」活動が組み込まれた。つまり教科書や試験問題をよく読んで、そのテキストに関する問いに答えればいい、というだけのものではなかった。
しかし、こういう生活単元学習は、「自由度が高い」といえば聞こえはいいが、ともすると課題解決に必要な知識をその都度つまみ食い的に学習することにつながる。
数学者の遠山啓は『新しい数学教室』(1953年)のなかで、「住宅」という単元で屋根のかたちとして「円錐」、エスキモー(原文ママ)の家で「球」が登場するといった脈絡のない配列がされ、数学的な関連性などに触れられていない点を「数学の体系をずたずたに寸断している」と批判した。
教員側に「この学年では、児童・生徒に最低限こういう知識を身につけさせる」「算数・数学のような積み上げ式の科目では、こういう順番で教える必要がある」という意識やノウハウがないと、新教育では体系的な知識の習得がおぼつかなくなりやすい。
また、戦後の混乱のなかで拙速に教員側に裁量をぶん投げたかたちになったわけだが、教師からすると「戦前と同じスタイルではダメ」とはわかっても「この学年では、何をどこまで教えたらいいのか?」が不明瞭だった。しかも、教師や児童・生徒にやりたい・学びたいことがあっても、設備も予算も不十分な状態ではどうにもできない。
不満や不安が現場の教師たちからも上がり、早くも「読み・書き・計算」の基礎学力低下批判が浮上する。
社会経済的地位の差を無視した調査
久保舜一(国立教育研究所)による調査が、この時期の学力低下説の有力な根拠とされた代表的なものだ。
久保は著書『算数学力 学力低下とその実験』(東京大学出版会、1952年)などで「算数学力は満二か年分低下した」と断定。
だが実は久保はそれに先立つ『学力検査と知能検査』(東大協同組合出版部、1951年)でまとめた昭和24年(1949年)度の横浜市の小学校高学年を対象にした第1調査では学力が低下している証拠を示せなかった。なぜなら比較対象にしうる戦前の調査を見つけられていなかったからだ。
