『リベラル疲れ 農村自治会長、分断解消に挑む』(鈴木大介 著)

 いま、野党勢力はまとまることができず、分裂を繰り返している。政策の僅かな違いに執着して「正しさ」をぶつけ合い、互いに折れることができない。過去の因縁に囚われて手を結べず、いがみ合う。リベラルな政策を掲げながら、他者への寛容さを欠いている。その結果、政治勢力としてまとまることができず、与党自民党の一強状態を許している。リベラルを称する人たちは、なぜ分断を繰り返すのか。

 リベラルの立場で執筆を行い、若い女性や子供の貧困問題を取り上げてきた著者は、千葉の農村に移住し、やがて自治会長を務めることになった。移住前は、地域組織に対して「全体主義的」「家父長主義的」といったネガティブな刷り込みや思い込みを抱いていた。しかし、実際に自治会長の役に就いてみると、主な任務は共用道路の除草や維持・管理、行政への補修要請など、地域の生活基盤を維持することにあった。

 さらに、地域の神社のお祭りやお札の配布、大みそかのお寺での焚火や除夜の鐘つきといった伝統行事に携わる中で、著者自身のあり方に変化が生じる。もともとは宗教と距離を置いていたが、長年住民が大切にしてきた伝統や慣習に触れるうちに強い愛着が湧き、これらを守り維持したいという保守的なマインドが芽生えていった。地域の「守りたいもの」「変えたくないもの」を共有する保守的な精神と、自身のリベラルな指向とが共存するようになったのだ。

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 この変化をきっかけに、著者は思想信条の違いから疎遠になっていた旧友たちの存在を思い出す。ネット上で右派的な言説を繰り返す彼らと距離を置き、一方的に「ネット右翼」としての像を作り上げ悪魔化してきたが、「いまの自分なら対話ができるのではないか」と考えたのである。

 実際に再会した旧友たちとは時間を置かずに打ち解けることができた。彼らの話を丁寧に聞く中で、右派的な歴史観や排外的な言説そのものには共有できない部分があるものの、彼らが抱く「日本の大切なものが奪われていく」という切実な危機意識や原体験、真摯な問いの背景を理解することができた。勝手な分断によって対話を閉ざしていたことの無益さを噛みしめると同時に、思想が違っても対話は十分に成立することに気づかされた。

 この体験を通じて著者が突き付けられたのは、自称リベラルの側の偏狭さである。左派の人々は自らが「正義」や「正解」を所有していると疑わず、絶対的な正しさを前提として怒りを表明している。こうした「怒れるリベラル」は聞く耳を持たず、異なる立場の人との対話を行おうとしない。問題の本質は、むしろリベラルの側にあるのではないか。

 著者は、「リベラル疲れ」をもたらしている要因をまとめ、対話に向けた提案を示している。共感するところの多い一冊だ。

すずきだいすけ/1973年、千葉県生まれ。文筆業・ルポライター。主な著書に、若い女性や子どもの貧困問題をテーマにした『最貧困女子』や自身の抱える障害をテーマにした『脳が壊れた』、ネット右翼になった亡き父の生涯をたどる『ネット右翼になった父』他がある。

なかじまたけし/1975年生まれ。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。現代日本政治や日本思想史などを研究。