小堀 世の中では、死ぬ前に最後にこの人に会わせようとか、善意のエピソードがよくあるでしょう。半世紀ぶりに音信不通だった妹さんと連絡がついて、最後の晩にお兄さんと一緒の部屋で過ごしたとか。でも現実は、そういう美談ばかりじゃないんですよ。

 僕自身の経験では、昔、身寄りのないある末期がんの男性に、良かれと思って弟さんを探し出して会わせたことがあったんです。そしたら、口もきけないほど弱ったその男性が、ものすごい顔をして僕を睨んだ。「お前、なんて余計なことを…」という表情で。とうの呼ばれた弟は弟で、「亡くなったら、そっちで始末してください。遺骨なんかいりませんから」という。これには深く考えさせられました。

 あるいは、私が担当していた男性が、娘に施設に入れられて「牢獄に入っているようだ」と訴えてきたことがありました。よくよく娘さんに話を聞くと、子どもの頃に、父親から性的虐待を受けた過去があり、絶対に父を引き取ることはないし、許せないと。そんな当事者の事情、表向きにわかるわけないですよね。そこに介入して、安易に「和解しろ」なんて言えるはずもない。

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小堀鷗一郎氏

 だから、その人の老い方とか死との向き合い方に関して、これが正解だというものは何もないんです。その人の望む老いであり、生きてきたあり様が導く死であり、固有の最期を遂げる。

死とどう向き合うかは「人生の集大成」

――まさに、人は生きてきたように死ぬんですね。

小堀 そうです。本書のタイトルは、「死によって人間は、自分が本来そうなるべき姿に導かれる」という仏大統領フランソワ・ミッテランの言葉からとっています。ある意味、死とどう向き合うかは、その人がどう生きてきたのかが滲み出る、人生の集大成とも言えます。

 大雑把にいえば、病院か在宅かという話になると、多くの人が昔から住んでいた自宅で過ごしたいと希望します。でもご家族や介護などの関係のなかで、そうでないほうが正解だという人もたくさんみてきました。

――統計では、終末期において日本人の6割程度の人が在宅を希望するものの、実態としてはその1割くらいしか実現していないようです。

小堀 そのギャップは、社会のものの考え方や制度の問題が複雑にからみますが、単純に国力の問題もあると思っています。数年前に、国境なき医師団創設者のグザビエ・エマニュエリ氏と対談したさいに、フランスはそこに割くお金が日本とは桁違いだということがよくわかりました。フランス映画を見てても、不治の病のお母さんがいるような貧しい子どもたちのいる家庭に、医療者や介護関係者が定期的に来てるんですよね。日本とはちょっとレベルが違う。

 日本は豊かな国と言われていますが、僕たちが見る限り、格差はどんどん開いてる。制度の外側にいてどこにも繋がりがない人たちもたくさんいます。お金もちばかりいるように見える港区だって、実際はそうでもなく、明日食うのに困っている人たちが少なからずいますよ。

 そういう人々にとって、在宅医療も病院医療もへったくれもない。病院に入るお金すらないし、家族と断絶し、社会とも断絶している。だから、正式に手続きをすれば得られる支援が得られていないんです。そういう格差の現実が在宅死の普及に対して大きく足を引っ張っていると感じますね。