2023年7月、栃木県の幹線道路をバイクで走行していた看護師・キャンディーさん(25)は、カーチェイス状態で逆走してきた2台の車を避けきれず衝突した。
右脚切断と右手多発開放骨折などの重傷を負い、一命は取り留めたものの、事故から数日で退職を告げられたという。それでも職場復帰を諦めなかったキャンディーさんは、事故から約1年半後に“義足の看護師”として復帰した。
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「脚がなくて働けなくなるので退職です」と言われ…
事故当時、キャンディーさんは新卒で看護師として働きはじめてまだ3ヶ月だった。手術後、家族から「仕事は退職になった」と聞かされたという。
キャンディーさんは「脚がなくて働けなくなるので退職です」と言われたようだと振り返る。大学で4年間勉強したのに、もう看護師として働けないのかと思うと悲しく、ショックだった。その時にはじめて右脚切断の重さを自覚し、涙が出たそうだ。
さらに、切断した右脚の骨頭が壊死しており、義足で体重をかけるとさらに潰れて「一生車椅子になるかもしれない」と説明を受けた。主治医からは、デスクワーク中心の保健師へのキャリアシフトも提案されたという。
それでも、キャンディーさんの答えは変わらなかった。
「一生車椅子になってもいいから挑戦したい」
「寿命を延ばしてやりたいことを諦めるより、ハイリスクであっても、『やりたいことをやり切って車椅子になる方がいい』と思ったんです」
諦めたら一生後悔するし、看護師になれなかったことを事故や誰かのせいにするのも嫌だった。「『やってみてだめだった』と『やらずに終了』とでは自分の気持ちが全然違う」と、先生には「骨が潰れても、一生車椅子になってもいいから挑戦したい」と伝えたという。
看護師を目指したのは、中学時代にお父さんのようによくしてくれた人をがんで亡くしたことがきっかけだった。最後までそばでお世話をしていたのが看護師さんだったという。
義足への挑戦は容易ではなかった。切断面に被せるライナーは5分も着けていられず、慣れない頃は装着だけで40分かかったそうだ。切断面は「肘で歩いているような痛みと衝撃がある」という。
事故から1年半後に職場復帰「めちゃくちゃ普通に働きました」
それでも事故から1年半後、元の職場に戻った。復帰の日について、キャンディーさんは「感動とかっていうよりも、めちゃくちゃ普通に働きました」と笑う。
事故後すぐに退職を告げられた時から、「いつか復帰して、“義足の看護師”として発信しよう」と決めていたという。自分も「前例」が欲しかったからだ。
事故当日の様子や幻肢痛との闘い、義足生活の詳細は、インタビュー本編で詳しく語られている。
〈つづく〉


