小児がんなどの病気と闘う子どもに付き添う親たちへ、温かい手作りスープとおむすびを届けるキッチンカー「fufufu-soup」。この活動を続ける青木佑太さん(43)と麻純さん(40)夫妻は、「前駆B細胞急性リンパ性白血病」を患った長男・一馬くんを、2019年10月11日に4歳で亡くしている。

「8割、9割は治る病気です」と言われて始まった闘病は、やがて「手の施しようがない」という宣告へと変わっていった。

 青木佑太さん ©石川啓次/文藝春秋

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「8割、9割治るなら大丈夫だろうと、どこか楽観的に捉えていました」

 一馬くんが「足が痛い」と訴えたのは、2018年10月下旬、3歳の時だった。診断が下ったのは、検査入院の後である。佑太さんは当時を振り返り、医師の言葉を「今はかなり薬も進歩していて、8割、9割は治る病気です」と語る。「8割、9割治るなら大丈夫だろうと、どこか楽観的に捉えていました」という。

 2018年11月、付き添い入院が始まった。麻純さんは日中、佑太さんは夜に付き添った。麻純さんは当時の生活を「孤独と先の見えない恐怖で、生きた心地がしなかったです」と明かす。

 最初の数か月、治療は順調に進んでいた。しかし治療開始から半年後の2019年4月、「極早期再発」が判明する。一馬くんの腎臓に腫瘍ができ、大きくなっていたのだ。佑太さんは、担当医師の言葉をこう語る。

 青木麻純さん

「標準治療の薬で効くものはない」「手の施しようがない」と…

「小児医療で認められている標準治療の薬で効くものはない。もう群馬県立小児医療センターでは手の施しようがない」

 佑太さんは「どん底の状態でしたね」と振り返る。それでも「子どもの命を諦められない」と、夫妻は東京の国立がん研究センターへの転院を決めた。治験薬が使えると聞き、「効く薬があるなら行こう」と考えたという。

入院中の一馬くん。最初は順調に治療が進んでいたという(青木佑太さんのXより引用)

 しかし、治験薬は4種類ほど試したものの、毎回「ダメでした」と告げられた。佑太さんは「わずかな望みを打ち砕かれるような気持ち」だったと語る。そして夫妻は、一馬くんを自宅で看取るという決断へと向かっていく。

 その葛藤や、家族で過ごした最期の10日間は、インタビュー本編で詳しく語られている。

〈つづく〉

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