娘が生まれたことをきっかけに、組を抜ける決断をした元極道の男がいる。髪型を戻し、入れ墨と小指がないことを隠しながら、必死に真面目な勤め人としての生活を送り始めていた。そんなある日、お風呂で娘から思わぬ質問を投げかけられる。
現在はNPO法人代表として「生き直し」の道を歩む佐藤智明氏の新刊『先生は、元極道 元極道講師が子どもたちのために歩む 人生「生き直し」物語』(彩図社)より、一部を紹介する。
「食べられてしまったんだよ」
結婚から数年が経ち、佐藤氏には女の子が生まれた。子どもを授かったことで、このまま極道を続けるべきか迷うようになったという。極道は親分のために我が身を捨てる覚悟がなければ務まらない。続ければ、組織のために長い懲役に行く場面も出てくるだろう。
「そんなとき、僕は妻や娘を置いて懲役に行けるだろうか。それはできない、と思いました」
悩んだ末に出した結論は、組を抜けることだった。総長のもとへ行き、思い切って「子どもを授かりましたので、足を洗わせてください」と切り出した。総長は静かにうなずき、何かの足しにしろと30万円を渡してくれたという。
その後、佐藤氏はパーマを落として髪型をストレートにし、千葉県にある妻の母の実家で、妻、娘、義母の4人暮らしを始めた。新聞の求人広告で見つけた塗装工場で、生まれて初めての面接を受けて採用された。入れ墨と小指がないことを隠し、電車とバスを乗り継いで通い、懸命に働いた。初任給では妻に指輪を買った。当時の楽しみは、毎日娘とお風呂に入ることだった。
そんなある日、お風呂で言葉を覚えた娘から「パパはどうして小指がないの?」と聞かれる。慌てた佐藤氏がとっさに口にしたのは、「ワニさんにパックンと食べられてしまったんだよ」という言葉だった。
娘はそれ以来、妻に「パパの小指をワニさんに返してもらいにいこう」と必死に訴えていたそうだ。佐藤氏はそんな娘が愛おしくてしかたなかったという。
娘はしっかり者に育った。佐藤氏と歩くときは服をしっかり握りしめ、人にぶつからないように引っ張るようになった。喧嘩っ早い父の性格をよくわかっていたようだ。真剣な顔で先導する姿に、佐藤氏は娘の成長をひしひしと感じたという。
ささやかながらも温かく満ち足りた日々を送っていた佐藤氏。しかし、そんな穏やかな日常を根底から覆す、思いもよらない災厄が忍び寄っていた。
(つづく)
