篠崎 徹子さんは、なんでバイオリンを習わなかったんですか? 弟の紀明さんもN響に長く在籍されたバイオリニストですから、習ってもおかしくない気がしますけど。
黒柳 父がやめてくれと言ったんです。女の子がバイオリンなんかやるもんじゃないと。その分、弟の紀明は父にとても厳しく指導されていて、大変そうでした。
篠崎 紀明さんには色々教えてもらいました。N響ならではの弾き方、しゃべりまわし、音楽の構築感……。オーケストラ全体を俯瞰して見ている方で、コンマスとして相談に行くと必ず的確なアドバイスをしてくださった。
黒柳 今度会ったら言っておきます。とても喜ぶと思う。
空襲の4日後に演奏会
片山 N響の突出した特徴が、戦中も一切途切れることなく100年続いている点です。戦争が始まって、団員も当然その渦に巻き込まれていきましたが、国として演奏を継続させた。日本を代表するオーケストラが放送でも流れなくなると、いよいよ国が崩壊していると思われてしまう。N響を続けることは、国の存続を示すために重要だったんです。東京大空襲の4日後に演奏会を開いたというのも、有名なエピソードです。
黒柳 でも、そんなにお客さんは来なかったはず。私はあの時、東京に居ましたから。父は終戦直前の1945年5月に36歳で出征する前、「兵隊さんに取られて団員が減ってしまって曲をやるのが大変だ」って憂鬱そうに言っていました。
片山 たとえば1945年1月の定期公演では、100人ほどの団員を必要とするマーラーの楽曲を演奏していますが、半年後には、規模の小さいベートーヴェンの交響曲になった。あっという間に人が揃わなくなったのでしょう。
篠崎 演奏家にとっては一番脂が乗っている年齢ですから、守綱さんにとっては、無念だったでしょうね。
黒柳 そうだと思います。シベリアで捕虜になって、ソ連から渡されたバイオリンで捕虜収容所に入れられた日本兵を慰問して回り、おそく帰ってきました。帰国後はN響でなく東宝交響楽団(現・東京交響楽団)のコンマスになったと思います。そのあたりの事情はわかりませんけど。
※約7000文字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年11月号に掲載されています(黒柳徹子×篠崎史紀×片山杜秀「窓ぎわから見たN響100年の秘密」)。
・デュトワが歴史を変えた
・一人でも欠けたら曲にならない
・音楽が世界を一つに

