2006年4月、秋田県の川で9歳の少女の遺体が見つかった。警察が事故死として処理を進めるなか、ビラを配り、マスコミに捜査の継続を訴え続けたのは、少女の母親・畠山鈴香だった。ノンフィクション作家の八木澤高明氏は、文庫新刊『殺め家』(鉄人社)で、彼女の生い立ちと現場を歩いた記録をつづっている。
「なんでぇ、あんなことに」
2006年4月、鈴香の一人娘の彩香ちゃんが、藤琴川の中州で遺体となって発見された。前日に鈴香が、娘がいなくなったと警察に通報していた。警察は川遊び中の事故死と判断したが、鈴香は事故死とは思えないと訴えた。その姿は、一部のマスコミから悲劇のヒロインとして注目を集めた。
約1ヶ月後、米山豪憲君(7歳)が行方不明となり、米代川近辺で遺体となって発見された。警察は鈴香に疑いの目を向け、鈴香は豪憲君の遺体を遺棄した疑いで逮捕された。その後、彩香ちゃんの殺害についても容疑を認めた。
鈴香の自宅から近い場所に住む主婦は、今も事件が解せないという。
「なんでぇ、あんなことになっちまったんだろうねぇ、いまだに疑問なのよ。面会に行ったら、どうしたんだって、聞いてみたいんだよね」
この主婦は、鈴香だけでなく彩香ちゃんとも面識があった。最近鈴香に面会した彼女の知人によれば、鈴香は事件前に比べてかなりやつれているという。
八木澤氏は2009年に現場を歩いた。鈴香の父親と猟銃を撃った仲間だという町の食堂の主人は、父親を「見栄っ張り」だったと語った。景気が良いときはすぐに金を使い、金は残らなかったのではないかという。
誰も住まなくなった実家は、砂利道の先のススキが生い茂る野原にあった。門も塀もなく、港に置かれたコンテナのようにも見えたという。八木澤氏は、この無機的な家が鈴香の人格形成に少なからず影響を及ぼしたように思えてならなかったと記している。
事件当日、彩香ちゃんは近所の商店でカップの焼きそばを買った。それが最後の晩餐となった。数時間後、彩香ちゃんは大沢橋の上から十数メートル下の川へ突き落とされた。なぜ彼女は自ら捕まるような行動をとり続けたのか……。
(つづく)
