「5、6年生くらいから、『これはちょっと違うぞ……』と」
織田の速球は186cmの高身長から繰り出される。
「5、6年生くらいから身体が大きくなってきて、『これはちょっと違うぞ……』と。身体が柔らかく、身の使い方が上手なんです。吸収力もあって言ったことを素直に受け止められる。それでいて努力家。練習が休みの日でも一人で自宅の前で素振りをしたり、ランニングをしたりする姿を目撃しました」(同前)
姉は市内の高校で野球部のマネージャーをしており、妹も同じ足立クラブで野球をしていたが、“スポーツ一家”というわけではない。
「母の祐子さんは小さい頃から細身の織田に牛乳を飲ませていたそう。自身で栄養のある食事を調べて、食育に励んでいた。大好物は祐子さんのみりんと醤油で漬け込んだ甘めの唐揚げだそうで、帰省すると必ず食べているそう」(前出・記者)
西さんも続ける。
「年末年始くらいしか休みはありませんでしたが、お母さんはグラウンドの側でいつも練習を見守っていた。翔希は今でも『甲子園決まりました!』とか『明日出発します』とか節目に連絡をくれる。律儀で感謝の気持ちを忘れない子です。横浜高校に行くと聞いたときも驚いたけれど、自分で選んだ道なので頑張って欲しいです」
中学3年、地元のバッティングセンターで最速記録
小倉北区にある「三萩野バッティングセンター」は小学校から中学まで織田が通っていた。代表の末松一英氏が述懐する。
「練習が終わってからチームメイトと来ていました。織田くんはバッティングセンスもあり、私が『二刀流で挑戦したらどう?』と言ったのですが『ピッチャーを極めたいんです』と」
当時から伝説を残した。
「中学3年のとき、スピードガンで球速を測ったら、138キロを叩き出しました。バッティングセンターの球は通常のボールより球速が出にくいので、実際はもっと速かったはず。この記録は今でも破られていません。大人しい子ですが、自分の記録に負けるのは悔しいようで球速が出ないと『まだまだ』とずっと投げ込んでいました」(同前)
