11月7日、日本の女子プロボウラー界の草分け的存在だった中山律子さんが死去した。84歳だった。“さわやか律子さん”の愛称で親しまれた中山さんは、日本のボウリングブームを牽引した。生前の中山さんは、好敵手・須田開代子さんから受けた影響を語っていた。1998年に月刊『文藝春秋』に寄せた原稿から、一部を抜粋して紹介します。
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須田さんは弱いところを他人に見せる人ではなく、どちらかといえば男っぽいというか太っ腹な性格でした。しかし、女性としては非常に繊細で、魅力的な面を見せることがありました。どちらも須田さんの実像でした。
たとえば男っぽいところというと、大勢の人の前でもプロボウラーの代表として大会の挨拶などでは筋道を立てて非常に堂々としゃべるし、全くものおじしない。また話の内容も聞いていて実に骨のあるしっかりとした内容なんです。
亡くなられた年の7月、大磯のボウリング場のオープニングセレモニーで始球式に参加した時のことです。須田さんは食道がんの手術のせいで食欲もなく、55キロあった体重が10キロも落ち、ユニホームから出ている腕と脚が細くなっていて、見るのがつらいほどでした。それでもセレモニーの前、わずか1球の始球式のために、別のボウリング場で軽いボールを使い練習して来られたというんです。
ちょうど私も肺を悪くして検査通院していたので須田さん同様、ボールを投げていなかった。私は特に練習もしないで「1球ぐらいなら大丈夫だろう」と安易にタカをくくっているところがありました。結果は須田さんはラインを外れることなくボールは真っすぐ走り、私はガーターでした。
同じ年の8月にもこんなことがありました。須田さんが病院からお帰りになった時を見計らって私の方から須田さんのご自宅に電話を入れたことがありました。その時に私の方から「須田さんはもう体が悪いのだから、これからは大会でも顔を見せるだけでいいじゃない」と言ったんです。でも須田さんは「いや、私はプロである以上、いつもボールを投げていないとダメなの」と言われたんです。プロとしての意識には頭が下がる思いで、私は本当にすごい人だとショックを受けました。
その反面、非常に女性らしいところがあった。それはおしゃれにすごく気を使う点です。

