「それはもう田村正和さん。ダントツと違いますかね」。 “これまで会った中で一番カッコよかった男性は?”という質問に、こう即答した上沼恵美子さん。田村正和(1943〜2021)との忘れ得ぬ邂逅(かいこう)を振り返る。
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田村さんに初めて会ったのは昭和56(1981)年2月、私が25歳のときでした。私はお芝居は素人だったのに、なぜか、難波の新歌舞伎座で田村さんが座長を務める特別公演にお声がかかったのです。この公演は一部が「大阪善人」(川口松太郎作)、二部が田村さんの十八番(おはこ)「眠狂四郎 クルスの母の子守唄」(柴田錬三郎作)という二部制で、私は一部のみの出演(三林京子さんの妹役)でした。だから田村さんと直接絡むことはなかったんですが、一度だけ二部の舞台を客席から見せていただいたんです。
当時、田村さんは37歳の男盛りで、その色気は凄まじいばかり。花道から「すっぽん」がせり上がると、ブルーの光の中に眠狂四郎の姿が──その瞬間、若い女性ばかりの客席が「フワァー」と溜息でどよめきました。みんな拍手をするのも忘れ、私も鳥肌がたちました。後にも先にも、溜息で劇場がどよめくのを感じたのは、あのときだけです。
「こんなにカッコいい人の素顔はどんなやろ」とますます私も興味が湧いてきたのですが、本番以外はご自分の控室に籠っているので、ほとんど接触の機会もない。どうしたものかと思っていたら、中日に打ち上げがあったんです。普段はそういう場にはお出にならないという田村さんも、座長として出席されると聞いて、私はガゼン張り切りました。
一次会は覚えてませんが、二次会はミナミのスナックを借り切ってのカラオケ大会でした。といっても田村さんはカウンターで一人、背筋をスッと伸ばして静かに水割りのグラスを傾けているわけです。光の加減で影絵のように壁に照らされたその横顔のシルエットは、まるで生けるギリシャ彫刻! 組んだ長い脚の先が地面につきそうで、思わず「ニシキヘビか」と言いたくなりました。
私は、さっと隣に座りました。田村さん、何も召しあがってらっしゃらなかったんです。で、私はお店が用意した「揚げシュウマイ」を皿にとって「水割りだけじゃお身体に悪いです」とおすすめしたんです。ところが、あの独特な口調で「イダ(ラ)ナイ」と仰る。
そこでやめておけばいいのにお酒の力というのは、恐ろしいものですね。私は「まぁ、そうおっしゃらずに。これ味の素のやと思うんですけど、おいしいんですよ」と今度は揚げシュウマイに辛子醤油をつけてフォークで田村さんの口元まで持っていったんです。田村さんは手を振ってまた「イダナイ」。日本広しといえど、天下の田村正和の口にシュウマイを突っ込もうとした女は私だけやと思います。さすがに顔はちょっと怒ってはりました(笑)。
会がお開きになったのは午前2時でしたが、田村さんは最後まで食べず、歌わず、水割りのグラスだけを傾け続ける美しい彫刻のままでした。
(取材・執筆協力:伊藤秀倫)
※約1600字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年11月号に掲載されています(上沼恵美子「美しき日本人50 田村正和 手を振って『イダナイ』」)。

