政治の世界には「プリンス」と呼ばれるおじさんがいる。二世・三世あたり前の華麗なる一族集団・自民党のなかにあって、その称号を得るのは並大抵のことではあるまい。いわばキング アンド プリンスならぬ、キング・オブ・プリンス、キンプリである。そして当世に「プリンス」と呼ばれているのが、小泉進次郎だ。
自民党の総裁候補となるような政治家は、料亭などでの会合で、自然と床の間を背にして座るようになるという。自分から出しゃばらずとも、まわりはその者の器量を認めて上座を空けるようになるのだ。プリンスは将来、そこに座ることが約束されている者である。
総裁選で残した「中途半端さ」
そんなプリンス・小泉進次郎の評判がだだ下がりである。9月の総裁選で投票当日になって石破茂の支持を表明して票を投じるも、安倍陣営への気遣いを感じさせるなど、中途半端さだけが残ることとなった。
プリンスの称号には、家系や経歴を背景にした将来への期待と、苦労知らずのボンボンへの皮肉が背中合わせにある。そして往々にしてプリンスは勝負弱く、叩き上げの胆力や知略に屈する。
たとえば「永田町のプリンス」と呼ばれた加藤紘一は“加藤の乱”で老獪な野中広務らの切り崩しにあい、さらには自らの未熟さから失態をさらして政治生命を失う。あるいは佐藤栄作首相に後継者として期待され、「プリンス」と呼ばれた福田赳夫にしても、田中角栄に総裁選で敗れ、佐藤の期待に応えることは叶わなかった。進退窮まるような権力闘争の局面では、それまで大事にされてきたがために、修羅場の経験の少なさから実力不足を露呈するのであった。