一番うしろの端っこに座るようにしている
そういえばテキ屋組織の親分・金子政敬は、ひとが生きていくうえで大切なことを聞かれ、「人と会ったら名前を憶えることです。どんな人間でもね。(自分より)下の人間なら特にね。その人たちに挨拶されたら名前を呼んでやることですよ。向うで挨拶して、お疲れさんですったら、オウっていわないことですよね。必らず名前を呼んでやること。それは親分みて教わりました」(注3)と答えている。また自己啓発の古典・カーネギーの『人を動かす』も名前を覚え、呼ぶことの重要さを説くのに紙幅を割く。
名前を覚えてもらったり、呼んでもらったりというのは、自分の存在を認めてもらえたということで嬉しいものである。そうしたテキ屋から鉄鋼王までもが大事だと説くひとの機微を、小泉進次郎は熟知する。
また永田町という嫉妬の世界での生き方を心得ている。たとえば当選1回生の頃は、党の部会では一番うしろの端っこに座るようにしていると述べる(注1)。ただでさえ目立つ存在なのに、前の方に座っては、出しゃばって見えてしまって、無駄に敵を作りかねない。
もっとも、出しゃばらないのは生い立ちに由来するようだ。中学生の頃、三者面談で担任の教師はクラスのまとめ役を期待しているのにやろうとしないと愚痴る。すると父・純一郎は「私も父親が政治家だったから、進次郎の気持ちはよくわかります。何をやっても目立つ。だから、できる限り目立たないようにと、たぶん進次郎はそう思うんでしょう」と返すのだった(注1)。
人々が持つ「父親への記憶」を超えることはできるのか
目立たないようにするというのは“政治家の子供あるある”だろう。小沢一郎や小渕恵三などの評伝にもその手の話が出てくる。そういえば、週刊新潮10月18日号には、話題の片山さつきが「大臣ポストが欲しくて堪らず、安倍首相に直談判」したことがあり、そうした押しの強さに安倍は辟易したのか、一時期「彼女と距離を置くようになっていた」とある。安倍も政治家の子である。出しゃばりは苦手なのだろう。
とはいえ、首相を目指すのであれば、先の総裁選のように身を潜め、方方に気を使って争いを避けてばかりはいられまい。
「坊ちゃんでは政治家としての魅力がない。挫折は人を作る」。山崎拓が鳩山由紀夫にしたアドバイスである(注4)。加藤紘一の盟友だった山崎らしい助言といえる。これはそのまま、小泉進次郎にも通じそうだ。鳩山が母親の資産を背景にしただけの政治家であったように、このままでは小泉進次郎は、人々の父親への記憶を借景とする、顔がいいだけの政治家に終わってしまう。
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(注1)文藝春秋2010.12号
(注2)週刊文春2013.4.4号 常井健一「『女子6人』が熱く語る 小泉進次郎にグッときた瞬間」
(注3)そえじまみちお『極道』ピラミッド社
(注4)山崎拓『YKK秘録』講談社+α文庫