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 そのことを説明するために、『彼岸花』からもう1枚の画像を引用しておこう。図3も有馬をバスト・ショットで捉えたものだが、先ほど引いた図2とは別のものである(出てくるシーンは同じ)。図1の田中のショットと図3の有馬のショットの手をよく見比べてほしい。両者はどこが違っているだろうか。

【図1】
【図3】『彼岸花』小津安二郎監督、松竹、1958年(DVD、松竹、2003年)

 

 おわかりになっただろうか。答えは左手の薬指である。田中絹代の指には結婚指輪がはめられているが、有馬稲子の指には何もついていない。ここで再び疑問に思われるかもしれない。「だから何なのか?」と。それでは、この違いは物語内容とどのように結びつき、効果的な役割を果たすに至っているのだろうか。

指輪は先行き不安な長女の結婚を暗示している

 映画『彼岸花』の内容を説明せずにここまでの議論を進めてきたが、この作品で中心的に描かれるのは、長女(有馬)の結婚に反対する父親(佐分利信)の姿である。そして、この記事で分析してきた食卓のシーンは、翌日に結婚式を控えた長女の祝いの席なのである。

 長女が両親に何の相談もなく結婚相手(佐田啓二)を選んだことに納得できない父親は、この期に及んでまだ長女の結婚式には参列しないと言っており、当然、娘の結婚を祝うためのささやかな食事会の席上にも姿を見せない。結婚式の前日にもかかわらず、長女が大っぴらに婚約指輪をつけられないのは、そのような事情を抱えているからである。

 また、長女の結婚相手が経済的なゆとりを持たないことも劇中で仄めかされている。そのため、たとえ父親の反対がなく、結婚相手に婚約指輪を贈りたいという願望があったとしても、どのみちそのような贅沢は許されなかった可能性が高いのだ(当時は婚約指輪を贈ること自体が現在ほど一般化していない)。

 いずれにせよ、母親の左手薬指には結婚指輪が光っており、長女の指には何もない。小津の緻密きわまりない空間設計は、この対比を強調するべく効果的に機能している。小津は、母親と娘の指輪の有無をさりげなく、それでいながら明確に描き込むことで、先行き不安な長女の結婚生活を暗示していたのである。