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 しかし、このように指摘すると、読者のなかには訝しく思う向きもいるかもしれない。「いや、百歩譲ってグラスや皿の高さはわからなくもないけれど、さすがに手との関係で微調整されているというのは、深読みしすぎなんじゃないの?」と思うのも当然だろう。だが、小津安二郎というのは、そこまで厳密に計算した上で映画を撮ってしまう監督なのである。図2のショットに写っている女優の有馬稲子は、小津の撮影現場について次のように回想している。

有馬稲子氏 ©文藝春秋

“とにかくもう大変でした。小道具でも大船寄りだの鎌倉寄りだの何時間もかけて厳密に配置するわけでしょう。それで小道具の位置が決まるとやっと役者が入るんですけど、それでまたコップの上げ下げがもう二センチ上だの下だの大船・鎌倉だので、もうすごかったですよ。……小津組というのはいいオブジェになるということだから。……『彼岸花』のときはセットの小道具が気にいらなくて大船から新橋の小料理屋までスタッフに借りにいかせて一日ムダになっちゃったことがありました。それでまた撮影が再開すると、食器を並べるだけで大変。それほど全部に対して小津美学という自分の好みを徹底させた人。(※2)

「大船寄り」「鎌倉寄り」というのは、小道具の位置を修正する際に小津が好んで用いた符丁だったようで、ほかにも多くの出演俳優が言及している。たとえば、『東京物語』に出演した香川京子は、「監督さんがキャメラを覗いて『もうちょっと大船に』『行き過ぎた。もうちょい鎌倉』と独特の符丁で小道具の位置を決め」ていたと述べているし(※3)、戦前から戦後にかけて複数の小津作品に出演した飯田蝶子も「『横浜寄り』『鎌倉寄り』とか云って延々一時間ぐらいかけてポジションを決めていた」ことを振り返っている。(※4)

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有名俳優がオブジェにすぎない「小津組」

 有馬の発言で重要なのは、「小津組というのはいいオブジェになるということ」を自覚している点だろう。

左から岡田茉莉子、小津安二郎、司葉子、牧紀子。バーで椅子に座って ©文藝春秋

 小津の映画では、たとえ有名俳優であっても、厳密に計算された小道具の配置を演技で邪魔してはならない。小津が常連俳優の笠智衆に言ったとされる「僕は、君の演技より映画の構図のほうが大事なんだよ」(※5)という言葉や、小津の遺作となった『秋刀魚の味』(1962年)でヒロイン役を演じた岩下志麻の「構図の中に人間を入れた場合の先生の美学というものがあった」(※6)という言葉は、このことを端的にあらわしている。

 したがって、図1や図2の画面で食器の間から女優の両手が見えていることもまた、小津の緻密な計算の結果だと考えるのが道理である。それでは、なぜそうまでして手を見せる必要があったのだろうか。実は、ここで二人の手が見えていることは、物語展開の上で重要な意味を持っている。