いま、小津安二郎が流行っている。
小津といえば、名実ともに日本を代表する映画監督のひとりである。その独創的な映像表現は世界的にも高く評価されており、代表作の『東京物語』(1953年)は、2012年にイギリスの映画雑誌『Sight & Sound』が企画した世界の名だたる監督たちによる投票で第1位に選出された。
しかし、冒頭で言っているのは、そのような世界的かつ歴史的な小津評価の潮流のことではなく、もっと限定的な流行のことである。
小津安二郎は、2018年の9月30日以降、突如としてTwitterでバズりはじめたのだ。
発端となったのは次のツイートである。
狂っていたという点では小津安二郎も大概だけれど、小津の場合はそれが一見わかりにくいというか無意味にさえ思える分、余計に怖い。たとえばグラスのなかの液体の高さを揃えようとしてみたり、その高さと卓上の皿の高さを合わせようとしてみたり。すべてのショットでこの種のこだわりを貫こうとする。 pic.twitter.com/GOVYCZZ0LH
— 伊藤弘了 (@hitoh21) 2018年9月30日
このツイートは現在(2018年11月3日)までに8,300回以上リツイートされ、2万以上の「いいね」を集めている。これ以降も、複数の投稿者による小津映画関係のツイートが続き、Twitter上で小津に対する関心がにわかに高まっていた。
なぜ、急にTwitterで小津が流行りだしたのだろうか。この記事では、最初に投稿されたつぶやきの内容を糸口にしてその要因を探りつつ、最終的には小津映画の魅力の核心にまで迫っていきたいと思う。
念のために断っておくと、先ほど引用したツイートの投稿者は他ならぬ筆者自身である。自分の投稿を自分で解説するのは気恥ずかしいものがあるが、それはいったん脇に置いて、なるべく客観的な記述を心がけたい。
グラスの中の液体の高さが……無意味な細部にこだわる“狂気”
さて、筆者は最初のツイートで小津の『彼岸花』(1958年)からいくつかの画像を引用し、卓上に置かれたグラスや皿に注意を促した。図1はそこで引用した画像の一つである。
図1を見ると、画面左に置かれた二つのグラス内の液体の高さが揃っており、画面右ではグラス内のワインと大皿の高さが揃っていることがわかる(※1)。ツイートでは、このような小津の細部への異常なこだわりを「狂気」と呼んでいるが、それが視覚的に納得されたからこそ、ここまで人々の関心を集めたのだろう。
物語映画を鑑賞する際、一般に観客の視線は人物の動きを追いかける。認知心理学と結んだ近年の映画研究は、人物のなかでも顔、特に眼や口元に鑑賞者の視線が集中することを明らかにしている。
したがって、この画面では、中央に映っている女優(田中絹代)の顔に注意が集中すると考えられる。つまり、観客のほとんどは卓上に並べられた食器類など見ていないのである。見ていないのだから、そこに小津が託した狂気じみたこだわりもまた見逃されるほかはない。なぜ小津は、解説つきの静止画を提示されてはじめて気がつくような無意味な細部にこだわったのだろうか。