1ページ目から読む
5/5ページ目

 ここまで、Twitterで話題になった画像を手がかりに、小津映画の細部がいかに厳密に設計されているかを読み解いてきた。最後に、こうした小津の取り組みが現代のSNS文化と高い親和性を見せた理由を改めて確認しておこう。映画は、あくまで動く絵であることを前提に作られている。にもかかわらず、そこから切り取られた静止画が、なぜこれほどの訴求力を持ったのだろうか。

小津安二郎氏 ©文藝春秋

 その最たる理由は、議論のなかでも触れた通り、小津が美術・装飾に徹底的にこだわり、一つひとつの構図を絵画的な美の境地まで磨き上げたからである。フィルムアーキビストの岡田秀則は、小津映画における美術の重要性について次のようにまとめている。

“小津組の現場では、俳優をセットに導いて撮影をする2日ほど前に、小道具の飾り込みの日を設けていたという。……茶碗や座布団など撮影に使われるあらゆる道具が置かれるが、その無人のセットは映画と完全に同じ構図で写真撮影される。……この写真の存在は、美術の完成度が撮影開始の条件になるという意味で、美術を俳優並みに重視している物証ともいえ、小津が静止画像に対して絶対的な価値を与えたことを示している。(※7)”

ADVERTISEMENT

動画より先に静止画があった

 注目すべきは、小津が映画の撮影に先立ってセットの写真を撮らせていたことである。つまり、Twitterにアップロードされた画像は、動画に先立ってすでに完成していた静止画を、再び取り出したものなのだ。小津が「絶対的な価値」を置いていたという静止画の力が、人々の視線をこれほどまでに惹きつけたのである。しかも、その静止画には、竜の眼たる俳優がしかと描き込まれており、画面の美しさと物語の展開とを橋渡ししている。それがネットの大海へと泳ぎ出たのはむしろ必定だったと言うべきだろう。

小津安二郎氏 ©文藝春秋

「インスタ映え」「SNS映え」なる言葉もすでに時代遅れの観を呈しつつあり、新たなトレンドを求めてインフルエンサーたちが鎬を削っている昨今だが、どのみち次の流行もすぐに飽きられ、忘れ去られていくだろう。小津は『宗方姉妹』(1950年)の登場人物(田中絹代)に、次のように言わせている。

「私は古くならないことが新しいことだと思うのよ。ほんとに新しいことは、いつまでたっても古くならないことだと思ってんのよ」

 没後50年以上が経過したいまなお人々に新鮮な驚きを与え続けている小津安二郎は、自身の監督作品をもってこの言葉の正しさを証明してみせたのである。

 

脚注

(※1)『彼岸花』のこのシーンで、グラス内の液体と皿の高さが揃っていること自体はすでに先行研究でも指摘されている。詳細はエドワード・ブラニガン「『彼岸花』の空間―小津映画における芸術様式の本質」(伊藤弘了・加藤幹郎訳、『ユリイカ』、青土社、2013年11月臨時増刊号、254~282頁)を参照されたい。
(※2)『東京人』(特集「今こそ明かす 小津安二郎」生誕100年記念)、都市出版、No.195、2003年10月号、36頁。
(※3)同書、59頁。
(※4)井上和男ほか編『小津安二郎・人と仕事』、蛮友社、1972年、154頁。(※5) 笠智衆『小津安二郎先生の思い出』、朝日文庫、2007年、80頁。
(※6) 『東京人』、52頁。
(※ 7)岡田秀則「動く前に、止める―これからの小津安二郎論のために」、『NFCニューズレター』112号(2013年12月〜2014年1月号)、8頁。