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女優の身体の位置を見てみよう

「無意味」と書いたそばから前言を翻すようだが、もちろん、小津は単にグラスや皿の高さを揃えて自己満足にふけっていたわけではあるまい。こうした細部への徹底的なこだわりは、むしろ合理的な演出戦略の結果なのである。図1の画像を、全体の構図を意識してもう一度よく見てみよう。

【図1】

 まず、女優の身体はどのような位置に収まっているだろうか。彼女の背後に目をやると、開け放たれた襖から奥の部屋が見える。彼女の身体はちょうどその間、つまり襖の縁が作り出す縦の線と柱の縦の線との間に綺麗に収まっているのである。映画のフレームのなかにもうひとつのフレームを作り出すこのような構図は「フレーム内フレーム」と呼ばれる。小津の映画では、このフレーム内フレームの構図が多用されており、それによって視覚的な安定感が生み出されている。

 さらに、このショットでは、目の細かい格子模様の着物の柄がそこに極小のフレーム構造を大量に作り出していることも指摘できるだろう。さしずめ「フレーム内フレーム内フレーム」とでも呼びうるこのような幾何学的な構図が幾重にも張り巡らされているところに、目も綾な小津映画の真骨頂がある。

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女優たちの手が「見える」のには理由がある

 人物が「フレーム内フレーム」の安定的な構図に収まっていることを確認した上で、いま一度卓上に目を向けてみよう。グラスや皿のほかに、テーブルには田中絹代の両手が置かれているのが見える。「見える」と書いたが、この画面で田中の両手が見えているのはなぜか。それは彼女の両手の前から食器類が注意深く取り除かれているからにほかならない。小津は、背の高いグラスや皿を画面の両端に配置し、彼女の前に小皿だけを置くことで、両手が見えるような空間をわざわざ作り出しているのだ。

 この両手に着目すると、グラス内の液体や皿の高さが揃えられている理由も自ずと明らかになるだろう。画面左の二つのグラス内の液体の高さと、画面右のグラスと大皿の高さは、それぞれ彼女の左右の手の位置におおよそ対応しているのである。左側の二つのグラスと、右側のグラスと大皿の高さが微妙に違っているのも、彼女の両手の高さが右手と左手でほんの少しだけ違っていることに合わせていると考えられる。

【図2】『彼岸花』小津安二郎監督、松竹、1958年(DVD、松竹、2003年)

 このことは、同じシーンにあらわれる別の女優のバスト・ショットにも当てはまる。図2の画像では、長女役の有馬稲子の手が卓上に置かれていることが確認できる。ここでは、左側のグラス内の液体とカップの高さにくわえて、右側の大皿の高さも揃えられている。精妙に配置された食器類によって、有馬の手が置かれるための空間が縁取られているのである。