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2018/11/03

安藤サクラに「あんた、これやらないなら一生仕事やめな」

 角替は佑を生んだとき、「もう仕事はやめたほうがいいんじゃないか」とも思ったが、産後3ヵ月ほどして、柄本から「そろそろ仕事できるんじゃない?」と促され、結局舞台に復帰したという。そんな夫を妻は《とにかく芝居のことしか考えられない人だから。私が家に入ってしまって、話が合わなくなるのがつまらなかったんじゃないかしら(笑)》と後年振り返っている(※2)。

 義娘の安藤サクラは昨年6月の第一子出産直後、現在主演する連続テレビ小説『まんぷく』のオファーがあり、引き受けるかどうか迷っていたところ、角替から「あんた、これやらないなら一生仕事やめな」と後押しされて決意したという。ひょっとすると角替は、安藤が迷う姿にかつての自分を重ね合わせたのかもしれない。

 お互いを「えもっちゃん」「和枝ちゃん」と呼ぶ柄本夫妻は、2人で喫茶店に行くことを習慣としていた。それは公演で地方や海外を訪れたときも欠かさなかった。長いときは3時間も話し込むこともあったとか(※2)。

角替のうつ闘病を支えた2年間

1981年、聖マリア大聖堂での挙式 ©スポーツニッポン新聞社/時事通信フォト

 こうして見ると、いかにも仲睦まじい夫婦に思えるが、平穏な時期ばかりではなかった。2010年には角替がうつと診断された。その5年ほど前から、小さなストレスが積み重なってか、胸の痛みと不眠に悩まされていたという。うつは家族のサポートなしには治らないとあって、柄本は医師の「とにかく朝6時に起きて、夜10時には横になりなさい」との言いつけを守り、角替を時間どおりに起こして寝かすことを日課とした。家事も以前は「やってやってる」という感じがあったのが、さりげなくやるようになったという(※3)。妻から見ても、《優しくなったというか、優しさの深みが増しましたね。さすがに私がいなくなったら困ると思ったのかも》と、夫の変化を実感したようだ(※2)。

 そんな生活を2年ほど続け、うつを治した。病気を乗り越えたころ、夫婦には英会話という共通の趣味ができた。教えてもらう相手は安藤サクラが見つけてきたという、近所で飲み屋を営むイギリス人の元英会話教師(※2)。角替は、《40年間、夫婦の会話といえば芝居と映画だけだったのが、それ以外のことで話せる日が来るなんて。あぁ、生きててよかったーというくらいうれしいのよ》と話すほど、この趣味に生きがいを見出した(※3)。

 角替は一昨年、45歳以上の中高年を対象にワークショップを開設、その1期生を中心に「劇団下北あるじょん」を結成し、今年8月には第2回公演を行なっている。個人としても、最近もたびたびドラマに出演していた。それだけに突然の死去に、近しい人たちも驚いたようだ。弔問に訪れた旧知の仲の女優・かとうかず子によれば、夫の柄本は、公演を控えている舞台(11月8日から新国立劇場で始まる『誰もいない国』)のセリフを覚えながら対応したという(※4)。息子の佑と時生も、いまはそれが何よりの弔いであるかのように仕事に専念している。あらためて角替さんに謹んで哀悼の意を表したい。

※1 長谷川康夫『つかこうへい正伝 1968-1982』新潮社
※2 『週刊朝日』2015年3月6日号
※3 『婦人公論』2015年7月14日号
※4 「スポーツ報知」2018年10月31日

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