女優の角替和枝さんが64歳で急逝したのは、ちょうど1週間前の土曜、10月27日のことだった。その夫で同じく俳優の柄本明はきょう11月3日、70歳の誕生日を迎えた。40年近く連れ添った愛妻を喪った悲しみは察してあまりあるが、ここでは角替さんへの追悼の意も込めて、夫妻の足跡をたどってみたい。
劇団で出会い、柄本が角替のアパートに転がり込む
柄本明は、その朴訥な雰囲気からすると意外な気もするが、生まれも育ちも東京である。1948年、聖路加国際病院に生まれ、子供のころの家は歌舞伎座の裏にあった。両親は大の映画好きで、家でも映画の話しかしなかったという。おかげで柄本も子供のころから映画館に通い詰めた。高校卒業後は商社に就職したが、どこかで役者への憧れもあり小さな劇団に所属する。会社をやめて本格的に演劇の道に進んだのは、早稲田小劇場のアトリエ公演に衝撃を受けたのがきっかけだった。その後、「自由劇場」を経て、1976年にベンガルや綾田俊樹らと「劇団東京乾電池」を結成する。
角替和枝は柄本より6歳下、1954年静岡県生まれ。駒澤大学に在学中、つかこうへいの戯曲を上演していた「劇団暫(しばらく)」に参加する。この時期、無名時代の風間杜夫や石丸謙二郎、のちにシティボーイズを組む大竹まこと・きたろう・斉木しげるなどとも舞台で共演している(※1)。柄本との出会いは、結成まもない東京乾電池に客演を依頼されたときだ。のちに角替は東京乾電池に移籍。やがて彼女のアパートに柄本が転がり込み、同棲を始める。結婚したのは1981年。すでに東京乾電池は人気劇団となり、柄本をはじめメンバーがテレビにも出演し、一般的な知名度も上がっていた。
“俳優だらけ”の親戚たち
夫婦のあいだには長女に続き、1986年に長男の佑、1989年に次男の時生が生まれる。柄本の両親がそうだったように、家族の話題はほとんど映画だった。そのためか、娘は映画製作関係に進み、2人の息子は俳優となった。2011年には、NHKの連続テレビ小説『おひさま』で角替と時生が親子の役で共演する。翌12年には佑が同業の安藤サクラと結婚。安藤の家族も、俳優の奥田瑛二とエッセイストの安藤和津が両親、映画監督の安藤桃子が姉という芸能一家だけに、両家が親戚となったことは話題を呼んだ。2014年公開の安藤主演の映画『0.5ミリ』には、彼女の義理の両親となった柄本と角替が出演している。