「共謀罪」を「テロ等準備罪」に「直して頂きました」
3人目の主人公、記者歴25年の契約社員は、正義派の記者として描かれる。共謀罪を巡る法案に関するVTRでは、「共謀罪」と表現するか「テロ等準備罪」と表現するかで権力への距離がわかり、後者を使うメディアは「権力の監視」機関ではなく、「権力を支える」側に回ることを選択したことになる、と力説する。そして自ら「共謀罪」と書いたナレーション原稿を、デスクに「テロ等準備罪」と直され、自嘲気味に「直して頂きました」と語るのだ。
彼は契約を切られた派遣社員に対して同情的で、最後の出社となった日に、報道部長が花束を渡しながら「〇〇くんは卒業ということで……」と送り出すと、「“卒業”なんていうオブラートにくるんだ言葉でこれ、くくれるんですかね?」と周囲に聞こえるように言う。さらにこのベテラン記者は、土方ディレクターの取材姿勢にも疑問符を投げかけ、「テレビの闇はもっと深いのではないか」と問いかける。この記者の番組における役割は、報道機関であり、かつ営利企業でもあるテレビ局の問題点や矛盾を、内側から撃つ存在として描かれるのだ。
私はこの番組が放送されたことに大きな意義があると思うし、土方ディレクターはじめスタッフの覚悟や、番組制作能力の高さに拍手を送りたい。
だが一点だけ、「さらにここを観たかった」という場面がある。
東海テレビでの「試写会」の様子が見たかった
番組の前半に提示された「取り決め」の中に、「放送前に試写を行う」という項目があった。
このこと自体は、組織の論理としては理解できる。ただし、それならば、その試写会の様子も撮影し、番組の中に組み込んで欲しかった。おそらく番組に対して内部からの反発もあっただろう。そうした声を、つまり報道部内のメインストリームにいる人たちが、どんな思いで日々のニュースを放送しているのかを聞きたかった。
実はこのドキュメンタリーの中で個人的には最大の驚きだったのが、悪役とも言える報道部長の存在だ。この人、どこかで見たことがあるな、と思っていたら、ハタと気付いた。この報道部長は、東海テレビのドキュメンタリー映画の傑作「平成ジレンマ」や「死刑弁護人」を監督した斎藤潤一氏なのだ。つまり、表で報じられるニュースに疑問を持ち、別の角度から捉えていく東海テレビ映画のお家芸とも呼べる手法を、阿武野プロデューサーとともに作った立役者だ。
そういうキャリアの持ち主が、報道部長となり(つまり会社で出世し)、「視聴率を獲れ」とか「上からやれと言われたらサラリーマンなんだから従わないといけない」とか、事実上クビの派遣社員に「卒業」などと言ってしまうような、典型的なメディア企業の管理職として生きている。斎藤部長は、いかなる思いでニュースを放送しているのか。その答えが聞ければ、この番組はさらに深度を増したと思うのだ。「さよならテレビ」は、テレビというメディアの話であると同時に、「組織と個人」という普遍的なテーマを描いていたのだから。