恐るべき“撮り屋”が作った作品
それにしても、見過ごされがちだが、このドキュメンタリーは「勇気ある問題提起」だけが光る番組ではない。
私はそれ以上に、スタッフの技術の優秀さ、エンターテインメントとしての完成度の高さを指摘したい。
土方ディレクターは、異色のヒット映画「ヤクザと憲法」や、隠れた傑作「ホームレス理事長」の監督だ。私はこの2本の映画を観て、「この人は恐るべき“撮り屋”だな」と思っていた。ドキュメンタリーには、色々なタイプのディレクターがいるが、基本的には魅力的な映像が撮れていないと何も始まらない。その中でも、普通はなかなか撮れないものを撮ってくる“撮り屋”がいる。土方さんはこのタイプで、飄々としながらも被写体に入り込み、びっくりするようなシーンを撮ってくる。「さよならテレビ」でもこの“撮り屋”ぶりは発揮され、なかなか聞けない被写体の胸の内の吐露や、見せたくないようなシーンも数多く撮れている。
その“撮り屋”に寄り添うカメラマンの存在も大きい。カメラを向けられてピリピリする報道部内の様子を遠くからしっかりと捉えている。そして主人公たちの表情のカット、言葉が無くても表情だけで伝わる秀逸なショットが多く観られた。カメラマンの反射神経の良さと、番組の文脈理解力の高さが窺える映像だ。
「さよならテレビ」は何に「さよなら」しているのか?
しかし、さらに驚いたのは編集・構成だ。“撮り屋”だとばかり思っていた土方ディレクターだが、この番組では、仕上げの最終段階である編集・構成においてもテクニシャンぶりを発揮する。特に、一つのシーンの終わり方や、CMに入る時の余韻の取り方、時折挿入される音楽シーンのカットの積み重ね方は絶妙だ。構成も巧みで、時によく出来過ぎていると思わせるほどだ。自らがよって立つテレビというものへのわずかな悪意をしのばせながら、一級のエンターテインメントに仕立てたのは、知能犯と呼べるほどだ。これは、編集マンの力が非常に大きいと思う。降板が決まったキャスターが、猫の殺処分のニュースで「弱いものを守る世の中であって欲しいですね」という原稿を読む声に、その番組を見ているクビが決定した派遣社員の表情のインサートには、思わず画面に向かって「やり過ぎだよ」とつぶやいてしまったほどだ。
さて、この番組の、いったい何が一部の同業者たちを苛立たせるのだろうか。最大の理由は、土方ディレクターがテレビの世界の一員であるにも関わらず、いまのテレビが持つ問題を、正直すぎるほどに明るみに出した、ということに尽きるだろう。この番組で描かれた現実は、すべてテレビのニュースや情報番組の現場で起きていることで、東海テレビに限ったことではない。だからこそ、仲間であるはずのテレビマンに痛いところをつかれて、感情的な反発が起きるのだと思う。だが、もうすでにテレビというメディアが、世間から魅力的だと思われていないことを自覚することからしか、テレビの再生はないだろう。
「さよならテレビ」は、これまでのお作法に則ったテレビへの「さよなら」を促す、衝撃作なのだ。