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母親と絶縁して32年、内田春菊が書いた「母への最後の苦情」

『ダンシング・マザー』を書き終えた今、想うこと

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 中学の同級生との交際、妊娠、中絶をきっかけに始まった養父による性的虐待、16歳での家出……。人気漫画家・内田春菊さんの初の小説『ファザーファッカー』は、衝撃の自伝的長編として大ベストセラーとなり、映画化されるなど大きな話題を呼んだ。

 

 あれから25年――。今度は、母親の視点からこの題材に挑んだ著者に、新刊『ダンシング・マザー』に込めた思いをうかがった。 

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自分で書いた「黒い報告書」がヒントに

内田 最初に編集の方から話があったときは、「毒母」で1冊書きませんか、という依頼でした。当時すでに、「ポイズン・マザー」という言葉が話題となっていましたから、もう5、6年前のことでしょうか。

著者自宅にて ©深野未季/文藝春秋

 何を書くか、は具体的に考えていなかったのですが、小説の形で書きたい、とまず思ったんです。その少し前に、「週刊新潮」で何本か「黒い報告書」を書いて、反響があったというか、文庫に収録されたら結構売れたんですよ。あの企画は、実際の事件を、エロくエグく(笑)、脚色したものですが、事実をフィクションという形で読みたい人は確実にいる、という手応えを感じたんですね。

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 そこから、『ファザーファッカー』を、今度は母親目線で書いてみたらどうだろうと思いいたったわけです。