2016年6月、宮城県山元町の太平洋岸に所在した「貴洋翠荘(きようすいそう)」という住宅が火災で全焼した。2011年の東日本大震災では床上まで津波が来たものの無事だっただけに、焼失に地元では惜しむ声があがった。

 1916年にこの家を別荘として建てたのは、赤痢菌を発見した細菌学者の志賀潔である。1871年2月7日(明治3年12月18日)に仙台で生まれた志賀は、ちょうど60年前のきょう、86歳で亡くなった。

 その死の8年前、写真家の土門拳により貴洋翠荘で撮られた肖像(写真集『風貌』に収録)では、志賀が自分で修理した眼鏡をかけ、背景には障子一面に新聞紙が障子紙の代わりに貼られているのがうかがえる。文化勲章をはじめ多くの栄誉を得た人物とは信じがたい赤貧洗うがごとき暮らしぶりだが、これというのも戦時中の空襲で東京の自邸が全焼し財産一切を失っていたためだ。

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土門拳『風貌』(講談社文庫)11ページ。土門が訪ねたとき、志賀は『細菌の猟人』(エミール・フィッシャー著)を読んでいたという。

 その後1951年に制定された文化功労者に選ばれ、終身年金が支給されるようになったおかげもあり、最晩年は悠々自適の生活を送った。妻と長男と三男に先立たれ、臨終には次男と四男、それから甥で医師の高橋功が立ち会った。ダジャレ好きだった志賀は亡くなる数日前にも、診察した高橋から「ホーデン(ドイツ語で睾丸のこと)がただれて痛いでしょう」と訊かれ「ホーッて(放って)おけば自然とよくなる」と返したという(高橋功『志賀潔』法政大学出版局)。

 なお、志賀と同日には阪急東宝グループ創業者の小林一三が84歳で亡くなっている。