来年1月6日からNHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の放送が始まる。本作は宮藤官九郎のオリジナル脚本により、日本が初めてオリンピックに参加した1912年のストックホルム大会から、戦争を挟んで1964年に東京大会を開催するまでの半世紀を描く。すでに今年4月より撮影も始まっており、7月には、ドラマ前半の主人公であるマラソン選手の金栗四三(かなくりしそう。演じるのは中村勘九郎)が、同じく五輪代表となった短距離選手の三島弥彦(同、生田斗真)とともにストックホルム(スウェーデン)へ出発するにあたり、新橋駅で盛大に見送られるシーンが収録されている。このシーンでは、金栗が在学していた東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長で、ストックホルムオリンピックの日本選手団長を務めた嘉納治五郎も登場する。演じるのは役所広司だ。

漢文、書道、英語を学び、東大に進む

2019年大河ドラマ『いだてん』で嘉納治五郎を演じる役所広司 ©文藝春秋

 柔道の創始者であり、教育者として体育・スポーツの振興に努めた嘉納治五郎は万延元年10月28日、現在の神戸市東灘区御影の豪商の家に生まれた。西暦でいえば1860年12月10日、いまから158年前のきょうにあたる。

 幼いころより私塾で漢文と書道を習った嘉納は、10歳で東京に転居してからは、英語も学ぶようになり、それがのちに国際舞台で活躍するのに大きく役立つことになる。開学まもない東京大学では理財学を専攻。在学中より学習院で講師を務め、以来、教育者の道を歩んだ。東京高等師範学校の校長に就任したのは1894年で、1920年までじつに24年間務めた。 

ADVERTISEMENT

帯の色で実力を評価できる「柔道」を発明

 体が小さく、体力のなかった嘉納は、それを克服するため学生時代より柔術を習った。このころ、柔術にはいくつもの流派が存在したが、彼はそれらの長所を取り入れることで、新たな柔術を創出、これを講道館柔道と名づけた。1882年のことである。

 嘉納は柔道を、従来の柔術にあった秘密主義を排し、広く開かれたスポーツとするとともに、級・段の階級を導入し、帯の色によって客観的に実力を評価できるようにした。これに目をつけたのが1885年に警視総監となった三島通庸(みちつね)である。警視庁には当時、防衛術や逮捕術について一貫した方針がなかったため、三島は警視庁独自の柔術の流派をつくり、全国の警察と比較できるような統一された等級や免状を導入するつもりでいた。だが、ちょうどそのころ嘉納と出会う。彼から柔道について教えられた三島は、わざわざ新流派をつくる必要もないと、これを警視庁で採用したのだった(※1)。このことは柔道の普及を後押しすることにもなる。なお、先にあげた日本初の五輪選手のひとり三島弥彦は、三島通庸の息子である。