今回の主役は、昭和21年生まれ、御年72歳の安田さん。数多のホークスファンを取材してきた著者が知る限りで、一番のホークスコレクターである。

 ホークスのグッズの種類はおそらく12球団ナンバーワンだ。新作が発売されると大行列。限定品となれば即完売。本拠地ヤフオクドームでの開催となるとグッズ売り場は人が行き来出来ないほど賑わう。

 だが、安田さんはお金では買えない物に価値を見いだし、それらを収集することに執念を燃やしている。

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 自宅の一室がホークス部屋だ。そこを“ミュージアム”と呼び、愛(め)でている。

 収まりきれないコレクションの数に家族は呆れているらしいが、安田さんは「ミュージアムはずっと展示物が同じだと飽きられるから常に収集していかないといけない、だから大変なんですよ」とあくまで我が道を貫く。ちなみにではあるが、この“ミュージアム”の一般公開は一切していない(笑)。

安田さんとホークスグッズで溢れた部屋

ホークスコレクターになったきっかけ

 安田さんがホークスコレクターになったのはホークス福岡移転元年の1989年のことだった。そもそも帽子を集めるのが好きだったが、ホークスが福岡に来てからは様々な物を収集するようになった。

 かつて本拠地だった平和台球場にはいつも満員の観衆がつめかけた。そのたびに大入り袋が配られた。それが始まりだ。安田さんは大入り袋を全て大切に保管している。
 

大入り袋

 また、当時の事を聞くと今では考えられない話が飛び出した。

「今みたいに警備も厳重じゃなかったし、普通に挨拶をしていたら野球場のどこまでも入って行けたんですよ(笑)。誰にも呼びとめられることもなく選手サロンまで入れたこともあって、しかも子供の手を引いていたから選手からも話しかけられて、一緒に写真を撮ってもらったりもして。時代が寛容で良かったですよねぇ」

 大のホークスファンになった安田さん。ただ、彼が応援したのはユニフォームを着て戦う選手たちだけではない。背広やジャージ姿で戦う人たちも熱心に応援したのだ。

「ライオンズが福岡を離れてしまって10年ぐらいは、プロ野球球団が我が街にない寂しさを感じた県民が多かった。私もその一人でした。そんな想いから、福岡に来てくれたホークスのフロントや裏方スタッフを特に応援していたんですよ」

 そのうち、だんだん顔見知りになって交流が深まった。スタッフにしか配られない物を譲ってもらうなんてことが増えてきた。

「今じゃそんな不審者は通報されちゃいますよね(笑)。だけど選手が活躍できるのはフロントと球団スタッフの御蔭ですから、常に労いたかったというのが本心です。でも、だんだん私の我儘をきいてくれるようになってきたというのもありました(笑)」

 そのお宝の数々は、あまりにも状態が良く大切に保管されている。なので、筆者も平和台球場に通った幼少期を思い出しながらついつい物色してしまった。

 確かに時間が経てば思い出の付加価値も生まれるし、それを見ただけで話題が広がるのは間違いない。上記写真の一番小さな旗は弁当の中で使われていたものだ。

 今でも地下鉄の駅などに置いてある試合日程表も、歴代の物がきちんとファイリングされていた。表紙は全く一緒でも裏面のスポンサー企業が違うだけで収集の対象になっている。ここでも球団を支えるスタッフ側を労う精神が安田さんの中にはあるのだろう。