栗山英樹監督には上沢直之投手以外にも「なお」と呼ぶ人がいる。内藤尚行さん、ギャオス内藤さんだ。7つの年の差、スワローズで4年間チームメイトだったギャオスさんは「僕はずっと栗さんて呼んでますよ」と微笑んだ。現役の頃の栗山選手について成績を調べることはすぐに出来るけれど、当時のチームメイトとのエピソードまではなかなかわからない。ギャオスさんとの会話の中で私は「栗山選手」にちょっとだけ会えた気がした。

 昨年の夏、HBCラジオの公開収録のゲストがスワローズOBのギャオス内藤さんだった。北海道に住んでいる私たちがギャオスさんとご一緒することがあるなんて思ってもみなかったので、本当に貴重な時間を戴いた。

 その日の札幌中心部、屋外の道庁赤レンガ庁舎のすぐ目の前の会場はいつ雨が落ちてもおかしくないくらいの曇り空。でも大勢の方がギャオスさんの話を楽しみに集まってくれた。ギャオスさんはイメージ通りの方だった。控室での打ち合わせも、ステージでの本番も、終わった後の帰り道もまったく変わらない。ずっと周りへの気遣いに溢れていた。自然とこちらも笑顔になる。当然、トークショーは大成功だった。

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ギャオスさんと「栗山選手」の出会い

 内藤尚行さんは、1987年、愛知県豊川高校からドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。初めての春季キャンプはチーム全体でのアメリカ・アリゾナ州ユマだった。キャンプ初日からブルペンで大きな声でアピールした内藤投手は、「ギャーギャーうるさい新人がいる」という理由でその日のうちにマスコミから「ギャオス内藤」のニックネームがついたのだとか。

 実はその年のキャンプには栗山選手は参加していない。プロ2年目から患っていたメニエール病で日本で入院中だった。なので、二人が初めて会うのはキャンプが明けてからになる。

 元気いっぱいの高卒ルーキーを目の前に、「そうか、君か~、めちゃめちゃ新聞に出てたね~」と声をかけてくれた先輩。自分なんかを気にかけてくれていたんだと、18歳の内藤投手はとても嬉しかったそうだ。

スワローズ時代の栗山英樹

 こんなエピソードもある。1990年4月7日、東京ドームでのジャイアンツとの開幕戦……ここまで書いただけで「ああああああ!」と思い出す野球ファンも多い有名なホームランがある。

 スワローズ2点リードの8回裏、マウンドには内藤投手。打席にはジャイアンツ・篠塚選手。篠塚選手はライトポールすれすれに2ランホームランを放った、これで同点に。しかし、その打球はすれすれ過ぎて、見方によればファウルにも充分に見えてスロー映像がテレビ中継で何度も流された。「疑惑のホームラン」。崩れ落ちる内藤投手、抗議する野村監督。

 昨年、リクエスト制度が導入されてこのホームランがまた話題になったので、当時を知らない世代も動画などでチェックしているかもしれない。あの時、打球の反対側でレフトを守っていたのは栗山選手だった。その後も投げ続けた内藤投手は延長に入って、痛烈な当たりを打たれるがレフトの栗山選手がダイビングキャッチ! 開幕戦で負け投手にならなくて済んだ、感謝しているとギャオスさんは笑顔で話した。そして、その年が結果的には栗山選手のラストイヤーだった。