太鼓やお経は「蘇生の儀式」のものだったのでは?
年齢的に、彼女が信じていた祈祷師は既に亡くなっていたはず。しかし、彼女は「蘇生マニュアル」のようなものを受け継いでいたのではないでしょうか。そして自らの考えに共鳴してくれる仲間を自宅に呼び、それを伝授。自らは死のタイミングをコントロールするため、彼らの前で食事を断ち、餓死に至ります。
肝心な蘇生の方法が何だったのかは、今となってはわかりません。しかし、現場の状況や他の蘇生信仰の考え方から想像するに、仲間2人に対して少なくない身体的負担を課すものだったのではないでしょうか。たとえば、彼女と同じように食事を断つことで、“生命エネルギー”を移行させる、といったような……。近所の人が耳にした太鼓の音やお経の声は、このときの「儀式」のものだったと考えられます。
しかし、結果的に今度も蘇生は失敗し、命を削った仲間2人も道連れになった――。あらゆる状況を考慮して、筋の通ったシナリオを考えてみると、私には上記のような状況が思い浮かぶのです。
かつての祈祷師の後継者だった可能性も
この3人は、かつての祈祷師のもとでの信者仲間だったとも考えられます。しかし、これも推測にはなりますが、80年代に書類送検されていた女性は自宅に他の2人を呼び、自身の蘇生を依頼していたとなると、彼女は祈祷師の後継者的な立場にいたと考えるのが自然ではないでしょうか。少なくとも信者の中では別格の存在で、もしかすると、かつて祈祷師とともに書類送検されたことで「昇格」していたのかもしれません。
ある女性の部屋で見つかった、奇妙な3つの遺体。殺人でもなく、練炭を用いた集団自殺でもないのに、マンションの一室で静かに命を落とした3人。祈祷師、蘇生信仰、太鼓にお経と、事件を取り囲むキーワードの特殊さを含めて、私にとっても非常に印象深い事故物件です。
ここが、北九州の“トライアングル”の2点目です。次はいよいよ3つ目。衝撃的な「自殺が連鎖したマンション」についてお話ししましょう。
(#3へ続く)