僕が一番好きな野球小説は、ジェームズ・サーバー1941年の短篇"You Could Look It Up”(訳せば「調べりゃわかる」)である。日本では以前、文春文庫から出ていた野球小説アンソロジー『12人の指名打者』に「消えたピンチ・ヒッター」の題で入っていた。

 0対1とリードされた9回表ツーアウト満塁、弱小チームの四番打者登場というところで、何と監督が代打を告げる。代わりに打席に立ったのは、秘密兵器パール・デュ・モンヴィル。何しろ身長90センチに満たず、これはちょっとやそっとじゃストライクが入りそうにない……。

 10年後、小説は現実になる。1951年8月、大リーグのセントルイス・ブラウンズ(現ボルチモア・オリオールズ)が身長109センチの新人エディ・ゲーデル(背番号8分の1!)を代打に起用し、ゲーデルは期待どおりストレートの四球を選んで、代走と交代した。精一杯低く構えたストライクゾーンは4センチに満たなかったという。コミッショナーはこれを野球への冒瀆と受けとめ、ゲーデルの契約を無効とし、彼のキャリアはあっさり終わりを告げた。これ、噓じゃないです。それこそ「調べりゃわかる」。

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打ちたいという欲求を抑えることができず……

 で、小説に話を戻すと、こちらもやはりピッチャーがいくらがんばってもストライクは入らず、たちまち3―0。押し出し四球で同点も間近かと思えたが、4球目の比較的低めのボールを打ちたいという欲求を、ああ、パール・デュ・モンヴィルは抑えることができなかった。バットが振られ、ボテボテのセカンドゴロは普通ならまず内野安打だが、パールの走りは赤ん坊のよちよち歩きのように遅く、あえなくアウトでゲームセット……。

 3-0のカウントでバットを振らずにいられなかったパール・デュ・モンヴィルに、僕は共感する。おそらくその球は、彼が生涯で得るであろうもっともストライクに近い球だったのだ。どうして打たずにいられよう?

……などと妙に熱く擁護してしまうのは、僕自身も身長157センチしかないチビだからである。相撲取りだって小兵を応援する。昔なら舞の海、今なら炎鵬。

……で、あるからして、横浜DeNAベイスターズの背番号31、167センチの内野手を、どうして僕が応援しないわけがあろうか。野球選手における167センチは、一般人における157センチより相対的には「低い」と言えるだろう(調べてみると、プロ野球全選手中、低い方から3番目)。しかもこの選手、名前は柴田なのだ!

167センチの柴田竜拓 ©文藝春秋

 実際、柴田竜拓が打席に立つと、ストライクゾーンは他の打者に較べて間違いなく狭く見える。ピッチャーも投げにくそうである。その利点と、持ち前の選球眼を活かして、粘り強く四球を選んで次の打者につなぐ、といった展開を我々は何度となく目にしてきた。これに軽快な守備が加わって、守備固めを主な仕事とする有能な控え選手、というチーム内の位置が固まりそうに思えた。