地元の高校に通い、幼いころからの仲間と野球を続け、友達に祝福されながらプロ野球の世界に飛び込んでいく。限られた練習時間を効果的に使い、置かれた環境や設備をフルに活用して好投手へと成長していった。

「タマちゃん」。そんなニックネームがしっくりくる柔らかな笑顔が印象的だ。福井県丹生郡は人口2万人あまり、カニやタケノコが有名な静かな町である。

 カープにドラフト6位で入団した玉村昇悟は、いわゆる野球強豪校のルートでなく、地元の中学や高校で力をつけながら、同世代屈指の左腕になっていった。

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カープにドラフト6位で入団した玉村昇悟

監督が考え抜いたバリエーション豊かなトレーニング

 越前町立宮崎中学では、野球部員10人という年もあった。初心者も2人混じっていたというのだから、我々の少年期の体験に極めて近いものがある。「兄が通っていましたし、小・中学校の仲間がたくさんいましたから」。そんな理由で進んだ福井県立丹生高校もいわゆる地元の公立高校である。当然、玉村の投球レベルの高さと他選手の技量にギャップが生じるケースもある。しかし、玉村は、お山の大将になることもなければ、浮いてしまうようなこともなかった。

「みんな友人ばかりですから。エラーがあっても気にしません。逆に、楽しいこともあります。あとで仲間と話をするときに、会話のネタにもなりますから」

 仲間に圧をかけることはなかったが、自分には厳しかった。高校3年夏の福井県大会でマークした5試合52奪三振が象徴している。「エースとして、投手からゲームを作る。自分がしっかりしないといけない。そんな意識でした。同じアウトでも、相手に精神的なダメージを与えるのは三振です。3つめのアウトを三振でとれば、味方も乗ってくると思います」。

 今年こそ暖冬だが、降雪量の少なくない地域である。かといって、大規模な室内練習場があるわけではない。それでも、玉村は自身の強みを着々と伸ばしていった。ストーブの置かれた柔道場、畳の上で逆立ち、そこから前進をする。さらには自体重でのトレーニングは実にバリエーション豊かである。「彼の良さである上半身の柔らかさを殺したくない。しなやかな腕の振りを生む体幹と下半身が大事。この選手をなんとか上の世界で投げさせたい」。そんな責任を胸に、同校の春木竜一監督は懸命に練習メニューを提示した。

 彼らにはビジョンがあった。もちろん目の前の勝利も追求しながらではあるが、最終的にはプロ野球で躍動することである。入試の面接で玉村は、それを言葉にしていた。「『夢は?』と聞かれたので、『プロ野球に行きたいです』と答えました。そのときの面接官は、野球部の春木監督だったのです」。

 才能もビジョンもある。そんな若者を迎えて、春木は徹底的に考え抜いて練習を行わせた。

 球数も無理はさせない。長所は失わせない。故障もさせない。「監督は、いつも新しいものを採り入れて提示してくれました。そして、意見をよく聞いて下さいました」。

 2人は頻繁にディスカッションを行った。「フォームやトレーニングでしっくりこないときは、そう伝えさせていただきました。でも、それは無駄ではありません。それもひとつの引き出しになります」。

 細身の体だったが、一気に大きくしようとはしなかった。体の軸を意識し、そこから体の使い方を磨いていった。そこに、体が追いつくようになる。きわめてナチュラルなサイクルでの成長だった。