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プロ野球女装史――長嶋茂雄の「お宮」から「イーグルスガールコンテスト」まで

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2020/01/16
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 昨年11月、東北楽天ゴールデンイーグルスのインスタグラムに掲載された写真を見て、私は思わずのけぞった。カープから移籍した福井優也、下水流昂が女装をして微笑んでいる。私は一体何を見せられているのだろうか。

 その真相は、楽天のファン感謝祭でのイベント「イーグルスガールコンテスト」だった訳だが、好評とみえて今回で5回目を迎えるという。このような女装イベントは他球団のファン感謝デーでも行われることが多いが、そもそもいつ頃から野球選手は女装をしているのだろうか。そしてその女装に傾向や変化はあるのだろうか。

プロ野球界の女装の傾向や変化

 遡ること約50年前、1967年の巨人のファン感謝デー。「金色夜叉」の貫一に扮した金田正一と、丸髷のカツラを被ったお宮役の長嶋茂雄がパントマイムを繰り広げて、拍手喝采を浴びた(『週刊ベースボール』1967年12月11日号)。衣装はこの日のために金田が借りてきたということなので、長嶋のお宮抜擢は金田の指名だったのかも知れない。なおこの女装は恒例とはならず、70年のファン感謝デーでは貫一は国松彰、お宮は女優の山東昭子が演じていた。

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 70年代に入ると、巨人のみならず多くの球団が「ファン感謝デー」を実施するようになる。その出し物の一つに女装は取り入れられていくが、例えば77年の阪急のファン感謝デーで、稲葉光雄がスペインの娘に扮装して闘牛士役の河村健一郎と登場したように、女装は単体のイベントではなく仮装行列の一部として扱われている。

 この仮装行列で振り切っていたのが78年のヤクルトである。若松勉が「ヤクルトおばさん」、大杉勝男が「タヒチアンの踊り子」、安田猛が「女子中学生」、松岡弘が「ウェディングドレスを着た花嫁」に扮して、「場内は爆笑のウズとなった」(『週刊ベースボール』1978年12月4日号)。

女装にける化粧の変遷 ©オギリマサホ

高性能ビジョンとSNSの普及による進歩

 ところで、この時のヤクルトの女装選手たちの顔を見てみると、西川のりおのオバQ並みに真っ白にドーランを塗られた上に、過剰なほどの頬紅や口紅が塗られている。それは女性というより喜劇役者の化粧である。なぜこのような女装になったのかというと、一つには「派手にしなければ観客席のファンから見えない」という理由があったのではないだろうか。球場に大型ビジョンが導入されるのは80年代以降のことだ。そのため70~80年代の女装は過剰であるか、或いは全く化粧を行わず、スカートやワンピースといった婦人服を「ただ着ているだけ」のどちらかであった。

 現在では高性能のビジョンにより、選手の姿が細部まで映し出される。昨年のオリックスのファンフェスタにおける女装コンテスト「オリ・コレクション」で、選手達が入念な化粧を施されていたのもそのためであろう。昨年の楽天や巨人(司会で登場した吉川大幾を除く)、中日の女装コンテストの場合、その場に女装した選手が登場するのではなく、事前に撮影した写真を女装メイキング映像とともにビジョンに映すという方式を採用している。その写真はファン感謝デー前にSNSで発信され、多くのファンの注目を集めた。高性能ビジョンとSNSの普及により、女装も進歩したのである。

ファン感謝デーのオリ・コレクションで渋野日向子風に女装した中川圭太

 ところでオリックスのファンフェスタでは、慣れないヒール靴を履き、ガニ股で登場する選手たちがビジョンに映し出されるたびに場内から歓声と笑いが起きた。「長嶋茂雄のお宮」や「若松のヤクルトおばさん」時代から野球選手の女装と切っても切れない関係なのが、この「笑い」である。

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