昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

前田幸長&川相昌弘  “外様OB”2人に聞く「強いドラゴンズ」を取り戻すために必要なこと

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

 昨年も5位に終わり、7年連続Bクラスに沈んでしまったドラゴンズ。2020年、再び「どえりゃー強いドラゴンズ」を取り戻すにはどうしたらいいのか?

 実は私、ある事情で最近ドラゴンズOB2人と頻繁に顔を合わせているのだが(なぜかは後述)、いい機会なので打開策を伺ってみた。

 2人とも他球団からの移籍組で、ドラゴンズ在籍時に優勝を経験したという共通点がある。さらに、これまた全くの偶然なのだが、ともに「ジャイアンツOB」でもあるのだ。

「強いドラゴンズ」を肌で知り、また相手ベンチからもドラゴンズを見てきた2人。生え抜きOBだと、時に「ドラゴンズ愛」が強すぎて客観的な話が聞けなかったりもするが、“外様OB”だからこそ言えることもある。

 ドラゴンズ在籍時の「強さの秘密」と、再び強いドラゴンズに戻るためには、いったい何が必要なのか? ……2人の答えは?

ただ怒るだけではないのが星野仙一流

(1)前田幸長さん(1996―2001在籍)

 闘将・星野仙一監督がドラゴンズ監督に返り咲いた1996年、3対3の大型トレードでロッテから中日に移籍してきた前田さん。移籍当初は先発、その後はチーム事情によってリリーフにも回り、99年のリーグ優勝に貢献した。

 当時の星野監督といえば、まだ「鉄拳制裁」のイメージがあった頃。ちょっとでもぬるいプレーをすると、すぐに「後で監督室に来い!」と呼び出されたそうだ。

 ある日、監督室へ呼ばれた前田さん。いきなり、星野監督にこう凄まれた。「顔の形、変えたろか!!」

「星野さんは、先頭打者とか二死からの四球をすごく嫌うんです。『何回、同じことやっとるんじゃ!!』って」

 幸い、前田さんは怒られるだけで一度も殴られたことはなかったそうだが、ただ怒るだけではないのが星野流だ。

「監督室に、ヴェルサーチとか、ブランド品が山積みになってるんですよ。ルーキーが初勝利を挙げたりすると、たぶん何百万もする高級腕時計を外して、『これ、持ってけ!』とか……アメもムチも、星野さんは半端なかったですね」

前田幸長さん ©チャッピー加藤

 そんな熱血監督のもと、96年、ドラゴンズは宿敵・巨人と優勝を争ったが、最後の直接対決で力尽き、ナゴヤ球場で長嶋茂雄監督の胴上げを許した。

「実は僕、その前日に投げて勝ってるんですよ。あのときは泣きました」

 ロッテ時代には無縁だった優勝争いに、初めて加われた喜び。そして悔しさ……この経験が、3年後の99年に活きてくる。11年ぶりのリーグ優勝だ。

 98年から中継ぎに回っていた前田さんだったが、99年はローテーションの谷間で先発も数試合こなし、優勝に貢献。

「初めてのビールかけは格別でしたね。祝勝会場の赤坂プリンスホテルのプールに飛び込んで大はしゃぎしました。ビールかけって、こんなにクタクタになるんだ、って(笑)」

低迷する現在のドラゴンズをどう見ているのか

 その星野監督がドラゴンズを去った2001年オフ、FA権を持っていた前田さんも退団を決意。巨人へ移籍し、翌02年、自身初の日本一を経験した。

「でもこの年、星野さんが阪神の監督になったのはメチャクチャ驚きました! 今だから言いますけど、もし僕が巨人移籍を決める前に、星野さんの阪神入りが決まって誘われていたら、僕はタテ縞を着てましたね」

 第2次星野監督時代の6年間を闘将とともに過ごし、美酒も味わった前田さん。OBとして、低迷する現在のドラゴンズをどう見ているのだろうか?

「ちょっと地味ですよね。星野さんのときは、選手にアピールする場があったし、僕みたいに目立とうとする選手もいた。名古屋の人って、実は派手好きなところもあるじゃないですか」

「いまは、いい意味で“目立てる”チームリーダーがいないかな。とくに高橋周平には、僕がいた頃の立浪さんのように華のある存在になって、チームを引っ張っていってほしいですね」