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「必死に高台まで逃げました」ロッテ・佐々木朗希が語った3.11の記憶

文春野球コラム オープン戦2020

2020/03/11
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「転校はものすごく辛かったのを覚えています」と佐々木朗希。悲しき日々で心を支えてくれたのが野球だった。避難所でもボールを見つけてキャッチボールをした。グラブもなかったので、人から借りた。野球が出来ることの幸せを感じながら、没頭した。

「プロで活躍する事で東北の人に明るい話題を提供したい」

 月日は流れる。まだ東北は完全に復興したとはいえない。いまだ、仮設住宅に住む人はたくさんいる。佐々木朗希は野球で徐々に頭角を現した。大船渡高校でも野球部に入り、その存在は高校野球界の誰もが知るものとなった。人は彼を「令和の怪物」と呼んだ。ドラフトでは4球団が競合。千葉ロッテマリーンズ入りが決まった。プロ入り後、震災の事を聞かれると佐々木朗希は言葉を選びながら答える。

「色々な人に支えてもらった。日本全国の人が支えてくれた。そして世界の人が支えてくれた。感謝の気持ちです。これからはプロで活躍する事で東北の人に明るい話題を提供したいと思います」

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 2020年3月11日。佐々木朗希はピンストライプのユニホームに身を包み、千葉ロッテマリーンズの本拠地、ZOZOマリンスタジアムにいる。令和の怪物としてメディアに一挙手一投足を追われる立場。しかし、それでもすべてを受け止める。自分が活躍し、メディアに取り上げられることで東北に明るい話題を提供したい。メッセージを発信したい。そう思っている。夢は大きい。震災を経験したからこそ知った日常のありがたみ。人への感謝の想い。それをメッセージに変えて社会に発信するためにも大きな夢を実現できる存在になりたいと願う。

梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)

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