「親から聞いたんですけど、弟が結婚するらしいんです。もはや嫌いとかはないですけど、あえて話す機会もないじゃないですか。でも、結婚式には呼ばれたみたいなんで、行こうかなと思ってて」
父親は財閥系企業のサラリーマンで、母親は専業主婦。その両親との付き合いも「年に1回か、2年に1回ぐらい実家に帰るか、帰らないかぐらい。たまにLINEとかは来るので、それは普通に返すんですよ」。
幼少期を振り返ってもらうと、当時の岡崎はちょっとした“問題児”だったようだ。「親が言うには、幼稚園では隣の奴に噛みついたり、髪の毛引っ張ったりして、1人だけ席を離されてたみたいです」。だが母親には特に可愛がられ、「男前、男前」と言われて育ってきた。「それもあって、こうやって男前になったんじゃないかと思います」
小学校のクラスでは“圧倒的”だった
県内有数の文教地区たる鎌倉の小学校では、中学受験をして有名校へ進むような生徒は岡崎以外にもちらほらいたという。「小学校で100点取っちゃうような子は他にもいますから、校内で特別頭がいいみたいに認識されてたかどうかはわからないです」。そうかと思うと、「自分では最強だ、天才だと思ってたんですけど。クラスでは圧倒的だったのは間違いないです」。
小学校時代は、「そこそこ」モテたそうだ。「運動はすごく得意で、たぶん学年で2番目ぐらいに足が速かったですかね。バレンタインデーのチョコレートも、数個はもらいました。まあ、義理チョコみたいに配っている人もいたと思いますけど、僕が本命だった可能性は大いにある(笑)」。当時の写真を見ると、すっきりとした、賢そうな男子だ。「左下の、こいつです。小学校の頃はそんなイケメンでもないです」
岡崎の話には、謙虚さとビッグマウスが交互に出てくる。「10点満点でいうと、自分では7か8ぐらいの男前だと思ってるんですよね。だから、積極的に自分で言っていかないと、そういうイメージはつかないなと思って、けっこう言いまくってるんです」。一見、実に不思議な岡崎の二極性は、子供時代から培われた自己肯定感を土台に、彼が意識的に“イキった”発信をしているがゆえのようだ。
開成と浅野に合格。栄光は不合格
中学受験をする子どもたちの多くがそうであるように、岡崎もまた、親の方針に従って塾に通い始めた。「あくまでも、決めたのは自分だったと思うんですけど。確か小4ぐらいのときに、やってみるか、みたいな感じで。でも最初は塾に行くのも週2、3回で、勉強漬けだった気はあんまりしてない。小6はしっかり勉強したのかな、たぶん。一番覚えてるのは、漫画を読んでいたことです。勉強机の下に『NARUTO』と『HUNTER×HUNTER』が置いてあって、深夜になって親が入ってこない時間になると、それを2時か3時ぐらいまで読んでた記憶があります」