受験4科目中、算数がダントツに好きだった岡崎は、暗記科目では苦戦したとも語る。「社会とかは全然できなかったです。開成志望者が集まる模試で、社会は後ろから7番目くらい。算数は得意だったんですけど、計算問題のような細かいのを出す学校は得意じゃなくて。開成みたいな、大きい問題を考えて解くのが好きでしたね。受験勉強をしてて、唯一楽しかったのはそういうときだったかもしれない」
受験校は、2月1日から順に開成、栄光、浅野。栄光は不合格だった。「栄光は算数も計算問題が多くて、それでミスをしまくってたと思います。本当の天才はそんなもんさらっとやっちゃうんでしょうけど。社会はマジで空欄ばっかりでしたから、やってる最中からこれは無理だろうな、落ちるだろうなって思いました」
開成中学で味わった“名門校の洗礼”
中学受験の最難関を突破し、第一志望の開成中学に晴れて入学したものの、西日暮里にある学校は鎌倉の自宅から電車で2時間ほどと、12歳の少年には遠かった。「僕、毎朝5時に起きて、6時に家を出てましたよ。東海道線で行くと速いけど、混んでて座れないんで、大船からずっと座って行ける京浜東北線を使ってました」
学校では、名門校らしいともいえる洗礼を受けた。「一番びっくりしたのは、中1の1学期の中間試験でした。あれだけの受験勉強をして、一旦開成に入るという目標を達したんだから、しばらく勉強はいいだろう、みんなそうだよね、と思ってたんですけど、全員ちゃんとやってるんですよ。えっ、そんなにやるなんて、ふざけんな、なんだよ、と思って。いろんな人の点数を聞く限り、僕がほぼビリだったと思います」
それまで、特別劣っているなどという意識は持っておらず、自分は開成の中でも平均くらいだろうと思っていた。「入学した直後くらいに、数学の授業で配られた問題をガーッと解いて、バッと見たらみんな終わってなかったんで、やっぱり俺は最強だ、なんて思ってました。たぶん、それが開成の中での全盛期でしたね(笑)」
開成は中学の定員は300人だが、高校の募集で100人が加わり、1学年400人という大所帯になることでも知られる。「高校に入ると、全校模試で順位が完全に出るんです。すると、みんなが『裏100』と呼んでいた、下からの100人に入っちゃって。やってないからできないのはしょうがない、やればできる、と思ってたんですけど、やりゃあできると言ってる奴は結局やらないんですよね。それが完全に僕でした」
生徒主体の部活にも「熱中することはなかった」
男子名門校は生徒主体で知られる学校が多い。開成もその例にもれず、部活には顧問の教師があまり関わらない形で、生徒が中心となって運営されていた。岡崎は上下関係のそれなりに厳しい硬式テニス部に所属し、高2の時には「高1を教える係のチーフ」になるほどには真剣にやっていたが、「熱中するということはなかったです」。
当時の思い出を聞くと、こんな答えが返ってきた。「ある時、授業をサボって部室でビデオを見てたんです。それがバレて、チーフの役職を降りざるを得なくなって、そこからは部活もなんか別に、って感じになっていっちゃった」。その時に見ていたビデオは、男子高校生らしいAVなどではなく、友達がレンタルビデオ店へ返却する間際だった『チャーリーとチョコレート工場』だったという。
「けっこう速攻でバレちゃって。チャーリーたちがチョコレート工場に着く前に。だからチャーリーたちがその後どうなったのか、僕はまだ知らないんです(笑)」