「あんた、正月の笑点出てたな! サインちょうだい!……って言われるのはまだ早いな」

 今年の「笑点」の正月特番での東西大喜利に出演した次の週、神戸での寄席が終わり、入口でお客様の送り出しをしている時におばちゃんから掛けられた言葉です。

「サインちょうだい!」から「って言われるのはまだ早いな」までの間が絶妙だったんです。

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 こっちは本気でサインしようとしてたので、「ペンありますか」って言おうとしてたし、なんだったら小さく「ペ」の発音に入っていたと思います。

「って言われるのはまだ早いな」のタイミングが早すぎたら少し嫌な気分になったかもしれないし、サインを書き出すタイミングで言われてもそれはそれで嫌な気分になる。

 まさに、【不快と不快の間にある針の穴を通すような笑い】。

 僕はこのジャンルの笑いが好きです。

 他人とコミュニケーションを取る中で、「この人の不快ポイントはどこにあるんだろう」というのは皆さん意識的、あるいは無意識に探っていると思うんですが、それを利用して笑いにするのはとても難しいし、人それぞれ許すことができる許容範囲が違うので、そんなメリットのない勝負はせずに無難な行動や言動を選んでしまう。

 それが本来正しいし、当たり前なんですが、時には覚悟を決めて無難でない行動や言動をしないといけない時があると思っています。

覚悟を決めてボロクソに怒られたネタをもう一度やった日

 ある時、大阪の寄席で僕の「相撲場風景」という落語を楽屋のモニターで聞いていた同じ笑福亭一門のある師匠。

 高座から戻ってきた僕に、「おい! オマエ、なんちゅうやり方しとんねん! あの相撲場、誰のんで覚えたんや! うちのおやっさん(師匠のこと)はあんなこと言うてへんし、してなかったやろ! アホんだら!!」と、皆がいる前でボロクソに怒られました。

「お客さんは笑ってくれてたんですからいいじゃないですか!」などと反論できるはずがなく、ただひたすら「申し訳ございません」と言うしかありませんでした。

 その1か月後、今度は神戸の寄席でまたその師匠と同じ出番でした。「ここで引いたら一生このネタができなくなってしまう」と思った僕は、覚悟を決めてその師匠が聞いてる前でもう一度「相撲場風景」をやりました。

 楽屋に戻ってくると、「そこに座れ」と言われました。正座した僕をジーっと見ながら、

「おい、普通のヤツはな、俺があんだけ怒ったら少なくとも俺の前では相撲場はせーへんねや。せやけどお前は堂々とやった。それでええねや。最近はお前みたいな負けん気の強い奴がおらん。それでええねや。これからも思いっきりやったらええ。ま、相撲場は俺の方がおもろいけどな」

 と言って、ニコッと笑ってくれました。そのお言葉が嬉しくて嬉しくて。「ありがとうございます」と顔は笑ってたんですが、涙が止まりませんでした。

 以来、「相撲場風景」というネタは僕の中でより思い入れの強いネタになりました。東西で600ほどあるといわれる落語のネタ。一生出会わないネタの方が多いなかで思い入れの強いネタに出会えるというのは、自分の力だけでなく、周りが与えてくれる力も必要なんです。

上田剛史への思い入れが強くなったきっかけ

 思い入れが強くなるきっかけは不意にやってくる。プロ野球選手にも同じことが言えると思います。

 その選手とは、上田剛史。

 青木宣親選手がメジャーに移籍する2012年、「ポスト青木」と期待されていましたが、なかなかその期待に応えることができないシーズンが続きました。

 やっぱり上田では青木の代わりは無理か――。という程度の思い入れでした。その風向きが変わったのが2015年10月16日。

 そう、山田哲人が合コンをしていたとされる“スクープ写真”。山田の横にいた上田が「知人男性」とのキャプションが添えられ“いち素人”として、目に真っ黒な横棒を入れられて載った写真週刊誌『FRIDAY』の発売日です。

 人によっては嫌な気分になったでしょう。もし「俺はポスト青木と呼ばれた男やぞ!」というプライドが強ければ不快に思ったでしょう。

 しかし、その年のスワローズのファン感謝デーで「知人男性」というタスキを掛け、黒い目線のメガネを掛けてネタにしている上田選手を見て、この人は根っから明るい人なんだ、プレー以外でもベンチにいるだけで戦力になる選手なんだ、と思い入れが強くなりました。