早いもので、新型コロナウイルスの影響で混乱を極めた2020年シーズンも、残り1ヶ月を切った。リーグ3連覇を目指している西武ライオンズは現在4位。数年ぶりにBクラスでの戦いが続いてしまっている。
贅沢にも、一昨年、去年と、主に本塁打王・山川穂高選手を4番に据え、首位打者、最多安打打者、打点王、盗塁王が脇を固めて、打って走って点を取りまくる、派手で魅力的な野球に目が慣れきってしまっていたため、何人もの選手が本来の実力を発揮できずにいる今シーズンは、いささか歯痒さを感じずにはいられない。
ただ、である。大好きなMr.Childrenさんも歌っている。
『どんな悲劇に埋もれた場所にでも 幸せの種は必ず植わってる』(Mr.Children『花の匂い』より歌詞抜粋)。
「悲劇」とは、あまりに大袈裟だが、なかなか思うように自分たちの戦いができない苦しいチーム状況の中でも、必ず、収穫やプラスの出来事はあるものだ。毎年のことかもしれないが、「若手の成長」がその1つ。今年も、宮川哲投手、浜屋将太投手、柘植世那捕手、岸潤一郎選手らルーキーの戦力加入、西川愛也選手のプロデビュー、高木渉選手、鈴木将平選手のプロ初本塁打など、若芽の活躍がチームに明るい風を吹き込んだ。
中でも、今後への期待が膨らんだのが、川越誠司選手ではないだろうか。北海学園大学時代から、各プロ球団スカウトから野手としての評価も非常に高かったが、西武は投手として2015年にドラフト2位で獲得(2016年入団)。しかし、怪我がちで、入団3年間で一軍昇格は一度も果たせなかったことから、2018年終盤から外野手としてリスタートすることを決意した。
山川との自主トレで、見える景色が変わった
その打撃センスに、時を同じくして昨季から就任した松井稼頭央二軍監督も大きな期待を寄せた。イースタンリーグ開幕戦から4番打者に大抜擢したのである。
そのまましばらく起用し続け、実戦経験を積みながらスラッガーとしてのポテンシャルを開花させるべく促したが、なかなか思い通りにならないのがプロの世界だ。バットを手放した3年間のブランクは、想像以上に大きかった。
「大学の時はバッティングもやっていたので、その時の感覚を、と思っていたのですが、感覚が全くなくなってしまっていて。また一からやり直していくのは本当に大変でした」(川越選手)
松井監督や周囲の期待に応えたい気持ちももちろん、野手1年目とはいえ、プロキャリアとしては4年目を迎えているだけに、「今年中に一軍に上がりたい」との思いは強かった。しかし、結果として一軍から声がかかることはなかった。
「どうしよう……」5年目を前に、危機感という名の焦りを本格的に感じ始めた矢先、思いもかけない人生の転換期が待っていた。2020シーズンへ向けた自主トレを、2年連続本塁打王・山川穂高選手、昨季首位打者・森友哉選手が中心となったグループに参加してできることが決まったのである。
同じチームとはいえ、これまで一軍で主力を張る彼らとは接点がほとんどなかった。初めて目の当たりにする日本球界のトップを誇る二大打者の練習は、想像をはるかに超えていた。
「常にバットを振っていますし、何より、食事など、練習以外の場でも常に野球の話をしている。とにかく一日中常に野球のことを考えていて衝撃でした。でも、それぐらいじゃないと、一軍で活躍できないんだなというのはすごく思いました」
技術云々以前に、まずは「とにかく人よりもバットを振る」を叩き込まれ、以後、その助言を胸に刻み、練習に励んできた。今では「すべての行動が野球中心です」と自ら断言できるほど、人一倍の練習量をこなし、栄養、睡眠など生活の全てを野球に注ぎ込む日々を送っている。
また、忘れてしまったまま“感覚”を掴めずにいたことから、フォームから何から、全てをリセット。山川選手から「ボールの見方、目線の位置など、初歩的なところから」アドバイスをもらいながら、ベースとなる形を作ることができたのも大きな収穫となった。
そこから、春季キャンプで初めてA班に帯同すると、チームの今季初の対外試合で、チーム第1号ホームランを放ち、たちまち注目の的に。その後も、新型コロナウイルスによる自主練習期間中も山川選手に師事し、開幕前の練習試合でも好結果を残すなど、猛烈なアピールに成功し、待望の開幕一軍入りを果たした。7月23日の千葉ロッテ戦では、プロ初本塁打も記録。「川越誠司」の名は、一躍全国に知られるものとなった。
「山川さんたちと自主トレを一緒にやらせてもらったことで、人生が全く変わりました。これまでファームだけで過ごしていましたが、一軍に上がったことで、見える景色が全然違います」と、感謝してやまない。