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1995年の田中幸雄と2020年の中田翔……ファイターズの“でかいマト”を見に行こう

文春野球コラム ペナントレース2020

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広瀬哲朗と田中幸雄 因縁があった2人の名手

 遡(さかのぼ)ること2年、93年シーズンのこと、フロントから現場復帰した「親分」こと大沢啓二監督は驚くべきコンバートを実行した。ゴールデングラブ賞遊撃手の田中幸雄を外野手で起用したのだ。これは「幸雄の肩ヒジへの負担を減らし、打撃に専念させるため」という表向きの理由も語られたが、実際は(特に最初のうちは)慣れない外野守備でエラーしたりして、守備への負担は増していたと思う。大沢親分はファイトマンの広瀬を使いたかったのだ。名手・田中幸雄を押しのけて広瀬はショートのレギュラーを掴んだ。広瀬はその年、「プロ野球でスタメンを張るってこんなにいいものか」と何度も語っている。それまで控えに甘んじてた選手が初めて抜擢されたのだ。

 僕が聞いた話。93年の春、「ホントに俺でいいのかな」と半信半疑だった広瀬はベンチでびっくり仰天する。田中幸雄の外野手用のグラブが置いてあった。これは本気だと思った。目頭が熱くなった。「ふざけんな、こっちはゴールデングラブだ」と思われたっておかしくないのに。広瀬は頑張らなきゃなと思う。頑張らなきゃ幸雄に申し訳ない。

田中幸雄 ©文藝春秋

 大沢親分が監督を務めた93、94年の2シーズン、広瀬は遊撃手としてゴールデングラブとベストナインの活躍を見せる。上田利治監督の95年には「サード広瀬、ショート幸雄」に戻って、幸雄がゴールデングラブに返り咲いている。こんな例はなかなかないと思う。2人の名手には因縁があったのだ。

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 95年シーズン最終戦に話を戻そう。秋風が吹き、すっかり冷え込んだ西武球場である。広瀬が長打を放った。たぶん左中間を割ったのだと思うが、打球のコースは覚えていない。ただもう広瀬が猛然と走った姿だけが目に浮かぶ。2ベースと思われたところ、ぜんぜんスピードを緩めず、三塁にヘッドスライディングで飛び込んだ。暴走と紙一重だった。審判の判定はセーフ! へへっと塁上で広瀬が笑う。

 これを幸雄がレフト線ツーベースで返して80打点到達。僕はマイクなどお構いなしに立ち上がって「バンザーイ!」だ。結局、この年の打点王はイチロー、初芝、幸雄の3人で分け合うこととなった。田中幸雄は都城高校時代、「雲の上の存在」「手の届かない人」と仰ぎ見た同級生、清原和博の目の前で初の打撃タイトルをものにした。

 あれから四半世紀経ってるけど、忘れられないんだよ。幸雄もすごいけど、広瀬もすごかった。4位で終わったシーズンだけど、最後の最後に男のドラマを見た。ファイターズのファンでよかった。ああいうものが見たいんだ。

 もういっぺん言う。チームのいちばんでかいマトを見に行こう。2020年の中田翔を見に行こう。ファイターズはやっぱり北海道のヒーローだとずっと後になっても語れるような、プロのプライドを見に行こう。仲間のために頑張るほうが個人タイトルに近いと思うんだよ。

札幌ドーム内の「写真撮影コーナー」。中田も西川もぜんぜん似てないが、タイトル目指して頑張るのだ! ©えのきどいちろう

追記:コラム公開後、ファイターズ記事をスクラップしている「コユキ」さんからメールを頂戴しました。おかげで記憶違いを正すことができたんですけど、何よりとにかく添付された写真に感動してしまった。許可をいただいたので、お裾分けします。みんな泣いてください。

1995年10月5日付、日刊スポーツとのこと。さすが「コユキ」さんです。この日は僕もスポーツ新聞を何紙も買い込んだ覚えがあります。幸雄が初タイトルですよ。バンザーイ! 

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