昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

松田、明石、千賀らの入団に携わり…こけしバットの4番打者・山崎賢一さんの今

文春野球コラム ペナントレース2021 共通テーマ「ソフトバンク×横浜の思い出」

2021/06/03

今はホークスで大ベテランのスカウトに

 あの人は今――。

 じつは25年前にホークスで引退をした山崎さんは、それからずっとホークスに籍を置いている。スカウトに転身。1998年シーズンは二軍打撃コーチを務めたが、1年限りでスカウトに戻り、今もその道を歩み続けている。

 大ベテランのスカウトだ。山崎スカウトが惚れ込み、それが縁となってホークスのユニフォームを着ることになった選手はもちろん大勢いる。

2015年ドラフト 山崎賢一スカウトと高橋純平 ©時事通信社

 いまの現役選手でも松田宣浩、明石健志、千賀滉大、森唯斗、高橋純平のホークス入団に携わってきた。現在は中四国地区の担当をしており、2年前のドラフト1位の佐藤直樹(JR西日本)やその前年のドラフト2位の杉山一樹(三菱重工広島)も担当選手だ。

 以前に、ホークス球団公式サイトの企画で「スカウト座談会」が行われ、その進行役を務めたことがある。スカウト業の本音が垣間見えて非常に面白かった。

 その中で山崎スカウトに「選手のどこを見ますか?」と問うと「ビビッとですよ」と笑って答えてくれた。説明のしようがない直感が働くのだという。

 ちなみに山崎スカウト。一見ちょっと強面だ。大洋時代のニックネームはなんと「番長」だったらしく、ベイスターズ現監督は2代目だったのだ。しかし、非常に生真面目で妥協を許さない性格として周囲からは一目置かれていた。スカウト業でもこんな逸話を話してくれた。

「一番印象に残っている選手は寺原隼人投手でした。とにかく毎日のようにグラウンドに通いました」

 甲子園で158キロの剛速球を投げてドラフトの目玉となった寺原のもとには、当時のダイエーのほかに巨人、中日、横浜のスカウトも訪れていた。現在ホークス九州担当の岩井隆之スカウトはその頃は横浜スカウトとして寺原に注目していたのだが、「いつグラウンドを訪ねても山崎スカウトはいました」と振り返る。「山崎さん、『毎日いるの?』って声を掛けても『ん? うーん、そうですね~』とはぐらかすんです(笑)」。その言葉を受けた山崎スカウトは「あの年は日南に200泊はしたかもしれませんね」と豪快に笑っていた。

 スカウト業に就いたときに目標としたのが、寝業師とまで呼ばれた根本陸夫氏だった。「根本さんに一歩でもいいから近づきたい。根本さんのような人脈といっても、どうすれば広がるのか。近道はないと思うが、自分を偽らず、正直に自分のキャラクターを出して理解してもらうしかない」と現役引退時にスポーツ新聞の取材に対して答えていた。

 今夜、自身もプレーした横浜スタジアムで、想いを込めて獲得に尽力した鷹ナインたちが力一杯にグラウンドで輝きを放つ。山崎スカウトはどんな気持ちでそれを見つめるだろうか。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/45301 でHITボタンを押してください。

この記事の写真(1枚)

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春野球をフォロー