3勝17敗4分け。ベイスターズが2年ぶりの10連敗を喫したドラゴンズ戦の実況を終えた4月22日の深夜、勝敗表を眺め思い巡らせていました。選手一人一人を称えたい場面は数多いのに流れが噛み合わず、勝利に届かない閉塞感。実況の最中は目前の試合に勝つか負けるかの描写に集中するためトータルの勝敗数には鈍感ですが、並んだ数字を見ると改めて重い。

 ベイスターズが最近ここまで苦しんだ時期はあっただろうかと、手元の資料をたどってみると……あった、『3勝14敗1分け』と非常に似通った戦績。2015年のセ・パ交流戦です。

 この年、勝ち越し10の首位でパ・リーグとの戦いに臨みましたが、交流戦史上ワースト勝率で借金生活に。シーズントータルでも最下位となり、中畑清監督が「ジェットコースター」と振り返った年です。そこまで弱くないはずなのに勝ち星が増えません。とりわけホークスとの戦いが深く心に刻まれました。

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今も三浦大輔監督が交流戦の思い出として語る柳田の一発

 さらに2年ほど時は戻って。2013年5月交流戦実況の直前、取材のため初めて福岡に出かけた時のこと。

 当時ホークスの広報担当だった山口憲治さん(現在は秘書室長兼チーム運営部ディレクター)とお話しさせていただく機会がありました。山口さんは神奈川の公立高校野球部出身で高校時代横浜スタジアムのマウンドに立った経験がある方です。山口さんとの会話で「チームの中心に座る選手が現れると、強いチームができやすい。ホークスはかつて松中信彦さんという軸を生かし、周りの選手の役割も固まった。ベイスターズの軸は誰になりますか」と問いかけられた私は、明確に答えられません。そんな私に山口さんは「いつかベイスターズとホークスが日本シリーズを戦えるといいですね」と気遣ってくれました。

 ベイスターズの軸は誰なのだろう?

 当時、主にベイスターズのクリーンアップを打っていたのはモーガン選手、ブランコ選手、中村紀洋選手、加えてホークスからのトレードで7年ぶりに復帰した多村仁志選手。多村さんはホークスで過ごした6シーズンで「勝つことが当たり前」の意識にカルチャーショックを受けていました。ベイスターズに戻った当時「負けても仕方ない」空気を払拭し諦めないチームに変えたかったと話します。多村さん自身はけがもあり、ベイスターズ復帰後はチームの軸となる数字を積み上げられませんでしたが、2013年5月10日のジャイアンツ戦で7点リードされた7回から途中出場し逆転サヨナラ3ランを含む2HR 5打点の活躍。ファンの記憶にいつまでも残る「諦めない」姿勢を体現してくれました。

 翌2014年の交流戦、ホークス戦では5月29日、(3年後の日本シリーズでホームランを打つ)白崎浩之選手が(翌年ベイスターズに移籍する)岡島秀樹投手からサヨナラヒットを放つなど感激と後々の縁を感じる試合もあり、ベイスターズは健闘しましたが、力の差は簡単に縮まりません。

 迎えた2015年交流戦。ホークスの顔として台頭した柳田悠岐選手に衝撃を受けました。

柳田悠岐 ©tvk

 今も三浦大輔監督が交流戦の思い出として語る6月3日、柳田選手が三浦投手(当時)から6回に放った横浜スタジアムのスコアボード直撃、推定150mの同点ホームラン。「3番セカンド石川」表示の隣30cm四方のLEDパネルの基盤が破壊。当日中継のベンチリポートを担当していた私は、急遽横浜スタジアム業務管理部の方を取材しました。スコアボードが故障した際は、係の方がストップウォッチを持って「5分で修理しよう!」と故障個所に急行しますが、柳田選手のホームランは衝撃が強く基盤の接触部分が外れたため相当手間取ったそうです。

本塁打が当たったスコアボード ©tvk

 試合はその後三浦投手が7回に柳田選手からストレートで見逃し三振を奪う負けじ魂を示す一方、柳田選手は延長11回にこの日2本目のホームランを放ち規格外の勢いを見せつけました。